©BLAZERS SPORTS CLUB

 2003年にNECブルーロケッツのプレーヤーとしてVリーガー人生をスタートした松本選手。2014年3月、Vリーグ通算230試合出場を記録し栄誉賞を受賞。2021年には40歳にして前人未到のVリーグ通算400試合出場、2024年2月にはVリーグ通算500試合出場を達成した。

 Vリーグ時代からトッププレーヤーとして活躍を続ける松本選手が感じた、SVリーグの変化とは何か――。

開幕戦は「バレーボール、注目されているな」。一般視聴者のような気持ちで観戦

――テレビ中継されたSVリーグの開幕戦は見ましたか?

松本 もちろん見ました! 決勝戦かと思うような盛り上がりでしたよね。開幕戦から地上波で生中継というのはVリーグ史上初だと思うんですけど、華やかでしたね。昨シーズンに比べて大きく変わったところといえば、外国籍選手の枠が2人に増えたことでしょうか。コートに立つ人が昨シーズンに比べてガラッと変わったのを、開幕戦を見ていても一番に感じました。

SVリーグの開幕戦はテレビでも放送された [写真]=金田慎平

――新リーグが注目されていることは感じますか?

松本 やはり現在の日本代表が世界で強さを発揮してくれて、そのおかげで男子バレーボールが注目を集めているという実感はありますね。テレビで見ていてもそれは感じました。まるで代表戦みたいな動員でしたから。「男子バレー、注目されているんだな」って、会場には行けなかったファンの一人みたいな思いで見ていました。

――今シーズンで22年目を迎える松本選手ですが、2003年にNECブルーロケッツで初出場を果たした試合のことは覚えていますか?

松本 初出場かぁ……(しばらく考えて)。あまり鮮明には覚えていないですね、だいぶ前のことなので(苦笑)。ただ菊地洋之さん、渡邉正堂さん、青木一平さんが頼もしくて、その先輩方がいたおかげで思い切ってプレーできたという当時の心境だけは覚えています。入団した当初は途中出場が多かったんですが、楊成太さんが監督になってからスタメンで起用していただく機会が増えた感じでしたね。

――楊監督のもと頭角を現し、第12回Vリーグでスパイク賞とベスト6を受賞していますね。

松本 はい、そのシーズンのことはかなり記憶に残っています。セッターの宇佐美大輔さんのトスと僕が得意としていた速い攻撃がすごく合って、結果を残せた記憶があります。宇佐美さんが引き出してくれた部分が大きかったですね。

――そこでの活躍が認められて日本代表入りし、2008年、北京オリンピックに行かれたのですね。直後、堺ブレイザーズに移籍しましたがどういった心境で移籍を決めたのでしょうか。

松本 最初は「バレーボールはもういいかな」という気持ちがあって、競技から離れようかと考えていました。とにかくオリンピックを一番の目標に掲げてきたので、オリンピックが終わって「さあ、どうしよう」という迷いがあって……。すぐにスイッチを切り替えられず、現役を続けたい気持ちと「本当にバレーボールをやりたいのかな」という気持ちとの間で揺れていました。いろいろと悩んでいるうちに、まずは今の状況を変えたいと思ったのがきっかけです。

北京オリンピックにも出場した [写真]=Getty Images

――堺を選んだ理由は?

松本 高校の後輩の木内学がブレイザーズにいて、彼にチームのことを聞いているうちに心惹かれたというか……。ブレイザーズに行きますという感じではなくて、バレーを離れるかもしれないということを伝えて、話をしたのが最初だったと思います。木内は高校の2学年下で、実際に一緒に部活動をしたのは1年ちょっとだったんですけど、すごく信頼できる人だったし、その彼が声をかけてきたということは、僕の当時の精神状態とか、ブレイザーズにどういった選手が必要で、どんなチームにしていきたいかという彼の強い思いがあってのことなのだと感じました。それがすべての決め手ではないですけど「信頼する木内が言うなら間違いないんじゃないか」と。

――当時は移籍に関する規則に、移籍前のチームの同意書がないとリーグに出場できない項目がありましたね。どう感じましたか?

松本 そこは、もう仕方ないという感じでしたね。そういうルールの中でやっていたことですし、当時の企業スポーツの雇用形態を考えると、会社側も相当のリスクを負って選手を社員として雇用していたわけです。一人、社員を雇う枠をスポーツ部に使っているので。ですから、それを招いたのは自分だから当たり前だと思っていました。今のSVリーグとは全く違う環境ですからね。

忘れられない優勝決定戦「あの試合だけ何もかもうまくいかなくて」

――長い競技生活で印象に残る試合は?

松本 1位を決めるのは難しいなぁ(苦笑)。嬉しかったのは2012シーズン、堺ブレイザーズで優勝したことですね。悔しい試合で言えばNECにいた時代、決勝まで行って東レに負けた試合ですかね。(※2005年・第11回Vリーグ)完全に優勝できると思って臨んだ決勝でした。そのシーズンは最初からチームがすごくうまく回っていて、それなのに決勝だけいつもの力が出せなかったという……。急にあれほど、すべてがダメになるかと驚く内容でした。バレーボールって怖いなと痛感した出来事でした。東レには前監督の篠田歩さんや僕と同期の今田啓介、斎藤信治さん、アブラーモフ選手がいて、セッターの山本太二さんがすべての選手を生かすトスを上げていました。全員にやられた感じです。

――22年間でリーグ自体の変化はどんなところで感じますか?

松本 今ってSNSで普通に選手の情報が見られるじゃないですか。僕らがVリーグに入ったころは、そういうものがなかったので、そこまでチームや選手の情報って得られなかったと思うんですよ。ファンの方々にとっては、情報がたくさんあるおかげで好きなチームや選手もどんどん広がると思いますし、身近に感じることができるんじゃないかと思っています。

――ブレイザーズスポーツクラブの変化は感じますか?

松本 ブレイザーズスポーツクラブは今、他のチームが動いているようなことに先駆けて取り組んできたクラブだと思っています。ホームゲームのテスト開催をしたり、ファンに喜んでもらえるような取り組みなどは、かなり昔から力を入れてます。SNSなどを通じて周知してもらおうという姿勢は以前より活発になっているんじゃないかなと思います。

堺ブレイザーズ時代の2008年にチームに加入 ©BLAZERS SPORTS CLUB

――逆にブレイザーズの変わらないところは?

松本 やはりチーム一丸といいますか……。選手スタッフ、事務所の方々と一緒に戦うという思いは変わっていないですね。

――もともと旧体育館の時代からクラブの事務所が同じ敷地内にあり、運営スタッフと顔を合わせる機会が多かったですよね?

松本 はい。今も選手が練習のために体育館に来ると、まずは同じ館内にある事務所に顔を出して、練習を終えて帰るときにも顔を出すのが日課です。選手と強化スタッフ、事務所の人たちとのコミュニケーションがとれていることが強みではないでしょうか。事務所の方たちの仕事、めちゃくちゃ大変なんですよ。ホームゲーム前の仕事の量の多さは尋常じゃない。必死に準備している姿を見ていると、もし優勝したら運営スタッフの方たちを一人ひとり胴上げしたいくらいありがたいと感じます。そして、そういう運営側の思いも背負ってプレーしているんだという選手たちの気持ちは、クラブ創立当時から変わっていないです。

一時的な盛り上がりで終わらないよう選手も責任を持って戦っていきます

――コーチ兼任という立場では今年のブレイザーズをどのように見ていますか?

松本 僕が出ているようじゃダメだと思うんですよ。これはここ数シーズン、ずっと言い続けているんですけど(苦笑)。僕も選手なので、もちろん「試合に出たい」という思いはあります。それは大前提として、でも冷静にチームのことを考えると、若手に頑張ってほしいという思いが強い。今、アジア枠で出ている蔡沛彰とか、日本国籍選手ですがハワイ出身の渡邉晃瑠など、若い選手がメキメキと育ってきています。ただ、欲を言えば試合中にもう少しミドルブロッカーの存在感を出してほしいですね。

2023年からは選手兼コーチを務める ©BLAZERS SPORTS CLUB

――すべてのSVリーガーが松本選手の出場記録を目指しつつ、なかなか抜けない記録でもあると思います。

松本 確かにベテラン選手とか、功労賞を獲得した選手が「まだ上にはマツさんがいますから」って言ってくれるのをよく聞きます(笑)。ただ、今後SVリーグが続いていく上で、もしかしたらもっと1シーズンの試合数が増えるかもしれませんし、昔に比べて医療が進んで、試合後の疲労を蓄積させないケアの方法なども進化していますからね。20年、30年前に比べたらどの競技も選手寿命は延びていますよね。最新のトレーニングを積んで、最新のケアをしていれば選手寿命はもっと延びるし、僕の記録もいつか抜かれるのかなと考えています。

――SVリーグの今後に期待することは?

松本 スタートした今の盛り上がりを続けていければいいと思いますね。一時的な人気であってはならないと思うので、そこはSVリーグになって世界最高峰を目指すのであれば選手もしっかりパフォーマンスを見せ続けていかなければいけないと思います。世界のトッププレーヤーが移籍してきて、バレーボールのレベルはかなり上がっていると思います。日本にいながらそのレベルの高さを体感できるのは選手にとっては大きなことだし、チームの活性化にもつながっていくのかなとも思います。それが一層、強い日本代表にもつながっていくのではないかという期待もあります。

――ちなみに松本選手、息子さんがバレーボールプレーヤーだそうですが、一緒にSVでプレーしたいですか?

松本 現実的に難しいかもしれませんが(苦笑)。でもやりたいですね。一緒にプレーしたいという思いはあります。高校2年生ですからね。どうでしょうか。でもそれを目標にこれからもがんばっていきます。