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 5日、第77回全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)が開幕する。

 これまでにもこの舞台から数多くのスター選手が誕生してきた。高校生にとってまさに夢の舞台。そんな春高バレーで活躍し、すぐに日本代表へと招集されて世界へと羽ばたいていった選手たちを紹介する。

※カッコ内は出身高校と現在の所属チーム

石川祐希(星城高校/ペルージャ)

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 今や世界トッププレーヤーの1人である石川祐希。春高バレーに出場していた2014年当時も圧倒的な実力を誇っていた。

 191cmの長身とは思えないほど体を自在に操る身体能力。身長を伸ばすために筋肉をつけずに細身だったが、全身を余すことなく使ったムチのように美しいフォームから繰り出されるスパイクは強烈で、レシーバーの手を軽々と弾き飛ばしていた。

 そして何よりもそのジャンプ力。軽やかな助走で床を蹴って加速、トップスピードに至った直後にダンッと両脚で急ブレーキをかけ、その力を最大限に生かした高い跳躍で敵ブロックの上から当然のようにスパイクを叩き込んでいた。当時から最高到達点は345cmに達し、ワールドクラスだった。

 石川は世界クラスの実力を存分に発揮し、2014年の春高バレーで2連覇を果たして公式戦99連勝と6冠を達成。その後、中央大学に進学した4月に日本代表に初選出され、9月のアジア大会では準優勝に貢献した。

10代の頃から日本代表で活躍した石川祐希 [写真]=Getty Images

 さらに12月には全日本バレーボール大学男女選手権大会(全日本インカレ)では中央大学を優勝に導き1年生ながら大会MVPを獲得すると、そのまま夏に短期契約を交わしたセリエAのモデナへと向かった。

 春高バレーから始まった石川の2014年は、世界最高峰の舞台への挑戦にまで至った。

髙橋藍(東山高校/サントリーサンバーズ大阪)

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 髙橋といえば今や世界トップクラスの守備力を誇るOHとして名を馳せるが、実は春高バレーに出場していた当時は圧倒的な攻撃力で注目されていた選手だった。

 343cmの世界レベルの最高到達点に加えて、アタックセンスがずば抜けていて悪球でも苦にせず打つことができ、ネットより上にボールが上がりさえすれば全て打ち切るほど。チームのセッターからは髙橋にトスを上げれば全部決めてくれると言わせるほど絶対的なエースだった。

 しかし、当時の髙橋には常に壁が立ちはだかっていた。京都代表の座を争うライバル校の洛南高校に、高校1、2年生の時には春高バレー出場を阻まれていた。

 「京都を制するものが春高を制す」と言われるほどこの世代はレベルが高く、髙橋が高校1年生の時の春高バレー2018では洛南が準優勝し、翌年には優勝を果たした。

 そして髙橋は高校3年生でようやく洛南高校を撃破し、春高バレー初出場。エースとしてチームを失セット0の完全優勝に導いた。

 その圧倒的な得点力に目をつけられて髙橋は2020年2月に代表初招集。アンダーカテゴリーを飛び越えての選出となった。すると、そこで髙橋の守備力の高さが判明し、石川の対角として守備型OHを求めていた日本代表にジャストフィット。2021年には東京オリンピックにチーム最年少で出場しベスト8に貢献した。

チーム最年少で東京五輪に出場した髙橋藍 [写真]=Getty Images

 春高バレーから世界へと羽ばたいた髙橋。その物語は春高バレーに挑む若い選手たちに無限の可能性を示している。

甲斐優斗(日南進徳高校/専修大学3年)

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 無名の選手が優勝候補を相手にニコニコと笑顔でブロックの上からスパイクを叩きつける。

 2022年1月7日、プロ並みの守備力を誇る駿台学園を相手に、単独で42得点を決めてフルセットの激闘の末に勝利。日南振徳の甲斐優斗の名がバレー界に轟いた瞬間だった。

 当時から甲斐は身長200cmの圧倒的な高さ以外にも、的確にコースを打ち分け、スパイクを下に落とさずに奥に打つことで被ブロックを防ぐなど技術が高かった。ポジションはMBだったが後衛ではリベロと交代せずにバックアタックで得点を量産した。

 春高バレー初出場でベスト4の成績を残し、圧倒的な実力を示した甲斐は卒業後に日本代表に初招集。初めての代表招集では目立つ活躍はなかったが、12月の若手有望選手合宿でOHとしての才能を示し、2023年も引き続き代表入りを果たした。

 同年5月には中国代表との親善試合で二桁得点を記録し、ネーションズリーグでは強心臓のピンチサーバーとして日本の銅メダル獲得に貢献。代表シーズンが終わると、急遽フランスリーグに挑戦し、世界レベルのブロックと対峙することで彼の高さとパワーはさらに磨かれた。

フランスリーグにも挑戦した甲斐優斗 [写真]=Getty Images

 翌年2024年のVNLではその進化を見せつけ、石川祐希や髙橋藍を温存した第1週でアルゼンチンやセルビア、キューバといった強豪国を相手に、日本の得点源として躍動。世界レベルの攻撃力を証明し、パリ五輪の最終12人のメンバーに選出。チームのベスト8進出に貢献した。

 そして、代表シーズンを終えた後の全日本インカレでは専修大学を初優勝に導き、自らもMVPに輝いた。

 春高バレーから日本代表へ、そして世界にその力を証明した甲斐優斗の挑戦は続く。

越川優(岡谷工業高校/現役引退)

日本代表の中心として活躍した越川優 [写真]=Getty Images

 越川優の名は、史上初めて高校生で男子日本代表に選出されたことで大きく響き渡った。学生から日本代表そしてプロ選手になり、さらにはセリエAにも挑戦。バレー界における新たなスタンダードを築き上げたレジェンドだ。

 越川は春高バレーで3連覇を果たした岡谷工業に進学し、1年生からエースとして活躍。インターハイでは優勝を果たすも、初めての春高バレーではベスト8に終わり連覇の記録は止まってしまった。

 当時の春高バレーは3月開催で3年生は出場できず、3連覇を経験している黄金期の選手たちが抜けた穴は大きかった。しかし、常勝軍団の岡谷工業が弱くなったと思われたくない一心で越川は奮起する。

 2年生でキャプテンに就任した越川は、高校生離れした筋量と強肩から繰り出すパワフルなスパイクで、インターハイと春高バレーで準優勝を成し遂げた。3年生ではインターハイ3位、国体優勝という成績を収め、その活躍が評価されて2002年に日本代表に選出された。

 高校卒業後は大学には進学せずに、Vリーグのサントリーサンバーズ(現・サントリーサンバーズ大阪)に入団。初めてのシーズンでVリーグ優勝を果たし、新人賞を受賞した。

 その後、海外挑戦を見据えた越川は2006年にプロに転向し、2008年の北京五輪に出場、2009年には念願の海外挑戦を果たしセリエAのパドヴァへと移籍。チームの1部昇格に貢献した。

 イタリアでの経験を経て2012年にVリーグに復帰した越川は、JTサンダーズ時代の2013―14シーズンに日本人選手では当時最多の532得点を記録した。2017年にインドアバレーを引退しビーチバレーに転向したが、新型コロナウイルスの影響もあり活動が制限され、2020年に当時Vリーグ2のヴォレアス北海道でインドアバレーに復帰。チームをV2優勝に導き2022年に完全引退した。

 越川が成し遂げた偉業は、今や新世代の選手たちの新たなスタンダードとして道しるべとなった。

 2025年はパリ五輪を終えて迎える初めての年。2028年のロサンゼルス五輪を見据えて例年より多くの若手選手が日本代表に選出されることも考えられる。

 実際、東京五輪翌年の2022年には春高バレーでの活躍を認められた甲斐優斗だけでなく、麻野堅斗(早稲田大2年)、牧大晃(筑波大3年)も日本代表に選出されていた。

 今年の春高バレーにも、ロス五輪で日本を勝利に導く新星がいるかもしれない。