北海道イエロースターズ(新Vリーグ東地区所属)で現役を引退し、現在は同チームでのコーチを務めるほか、母校であるとわの森三愛高等学校男子バレーボール部のコーチとしても活動している谷越陽介さん。
北海道の高校から関東の大学に進学をし、大学4年時にはキャプテンとしてチームをまとめ、見事全日本インカレ3位に導きました。大学卒業後は、地元の北海道に戻りプロバレーボール選手として活動。さらに子供たちやママさん向けに、数多くのバレーボール教室を行ってきました。
そんな谷越さんには、北海道で叶えたい夢があります。
今回はコーチとしてその夢を追いかける谷越さんの、選手時代そして地元で活動をし続ける理由について伺いました。
チーム作りの大切さや歴史を感じた、大学4年時の全日本インカレ
――バレーボールを始めたきっかけやエピソードを教えてください。
谷越 母と姉の影響で小学4年生の時に始めました。始めたころはスパイカーで、高校2年生のときにセッターになりました。石川祐希選手がセッターをしているところを見て、私自身、色々なポジションができた方がいいのかな?と思って。自主練でトスを上げていたら監督に採用されました(笑)。ですが、すぐにヒザの手術をすることになって。高校3年生のインターハイまでバレーボールができなかった。なのでセッター歴は1年半。それでも監督がつなげてくれたおかげもあり、セッターとして日本大学に進学することが決まりました。
――その大学時代の思い出を教えてください。
谷越 一番の思い出は大学4年生の時の全日本インカレ。コロナの影響でリーグがなくなり、秋季リーグは開催されたのですが、自分たちのチームでコロナが出てしまい棄権することになりました。チーム練習もすることが出来ず、全日本インカレの1ヵ月前にようやくチームが再始動。約1ヵ月でチームの立て直しと強化が必要で、私はキャプテンとしても大きな責任を感じていました。それだけにベスト4を決める試合で東海大学に勝利したときは、うれしさと安堵で泣いてしまいました。3位決定戦には、一番に応援してくれていた母が東京まで観に来てくれて、そこで勝利し3位になることができたので、学生バレーの最後に少し恩返しができたかなと思っています。

――日本大学ではキャプテンとしてどんなことを意識しましたか。
谷越 大学4年生になったとき、《チーム作り》については特に意識しました。僕たちの代は出場機会の多い選手がいなくて、同期でユニフォームを着ていたのは僕を含めて2人。下の代の子たちが多く出場していたので、後輩たちにのびのびとプレーしてもらう事には特に気を配りました。その代の4年生によってかなり色が出るのが大学バレーの特徴だと思っていて、先輩たちが残してくれた良き文化や習慣をより発展させ、時代に合わせた変化をつけるようにしました。
全日本インカレで3位になれたことは僕にとってとても大きな経験で、日本大学の歴史も感じることができました。僕の代で全国3位になれたのは、1部に昇格してくれた先輩たちがいて、入替戦を戦って1部残留をしてくれた年があって、1部に居続けられたチームを作ってくれた歴史の積み重ねがあったからです。そしてスタッフ、同期や後輩に恵まれて、運も良くこの代で結果が出たものだと感じました。
『恩返しがしたい。』北海道で指導者になりたいと思ったきっかけ
――今では教師となってバレーボールを指導されているわけですが、指導したいと思った理由を教えてください。
谷越 自分が感じてきたバレーボールの楽しさを伝えていきたいと思ったこと、そして地元である北海道でバレーボールをはじめ、たくさんの人にお世話になり、僕自身のバレーボール人生の土台ができました。なので指導者になって『北海道に恩返しがしたい』という思いが強いです。
中学生時代はバレーボールの指導ができる先生ではなく、自分でメニューを考えて、球出しなどもしていました。そこで共に上達していく仲間達に対して、僕自身も喜びを感じることができました。その後は多くの良き指導者に出会うことができ、コーチの存在の大切さも強く感じました。
成長している姿を見るのは楽しいですし、みんなとてもいい顔をしています。特に子どもたちがバレーボールに触れて、満足そうにしてくれているのを見ると僕もうれしい。自分がプレーをしてうまくいった時とは違う満足感です。
こんな僕でも関東1部の大学そしてVリーグの世界でバレーボールをすることができた。その可能性はみんなにもあるということ。僕自身の経験も踏まえて教えることができればと思っています。
北海道のバレーボールを盛り上げたい

谷越 今はVリーグに所属する北海道イエロースターズ、そして母校であるとわの森三愛高等学校男子バレーボール部のコーチをしています。高校生はまだバレーボールの知識が乏しく、一つの成果にこだわります。それも間違ってはいませんが、まだ持っていない視点を与えられるようにと心がけています。教えるだけでなく考えさせること、そしてチャレンジさせてみること。こちらの求めているものだけを追わせるのではなく、枠を広げられるように意識しています。
一方でプロ選手たちはすでに自分自身の成功体験があって、それぞれ何かしら大事にしている考えや感覚があります。それらを尊重しながら、声をかけるタイミングであったり、その日のコンディションを見たりしています。僕は監督ではないので、監督の考えやアナリストから提供されるデータを噛み砕いて伝えるように意識しています。また、スタッフと選手をより密につなぐ良い緩衝材のようになれればと思っています。
一番最初にバレーボールの楽しさを教えてくれたのは北海道の人たちでした。僕が選手時代、たくさんの地元の人たちが応援してくれた。なので、お世話になった北海道を盛り上げたいという気持ちが強いです。次は自分が、北海道に住む子どもたちや関わる人たちにバレーボールの楽しさを少しでも伝えられるような機会も作っていきたいと思っています。
あとは地元にプロのチームがあって、試合を見ることができるというのは本当に素敵なことだと思っていて、満員の会場の中で地元の人たちも夢中になって応援してくれる景色も作っていきたいです。
北海道イエロースターズに所属して、バレーボールの可能性を感じました。応援してくれるファンの声を聞いたり、子どもたちとバレーボールをする機会があったり、メディアで取り上げてもらう機会も増えました。もっとたくさんの人に、面白さを伝えられたり、盛り上げることができたら。そんな北海道のバレーボールを盛り上げる一員になりたいなと思っています。