「“自分で勝ち取れたんだ”って思いました」
6月5日に行われたバレーボール男子日本代表のキックオフ記者会見で、4年ぶりに日本代表に登録された35歳のセッター、深津英臣(ウルフドッグス名古屋)は感慨深げに言った。
「そんな簡単に帰ってこられる場所じゃないから。やっぱり1年1年、全チームの選手が、ここに来たくて必死に頑張っている中で、呼んでいただいた。自分で勝ち取れたというところは、自信にしていいのかなと思います」
かつては日本代表で正セッターを務めた。日本が今のような躍進を遂げる少し前、兆しが見え始めた時代を懸命に支えた司令塔だ。ちょうど、大学生だった石川祐希(ペルージャ)や柳田将洋(東京グレートベアーズ)、山内晶大(大阪ブルテオン)、髙橋健太郎(ジェイテクトSTINGS愛知)といった、のちに日本代表を引っ張る選手たちが代表デビューしたばかりの頃、精密なトスで彼らのポテンシャルを引き出し、ブレイクのきっかけを作った。
2016年のリオデジャネイロ五輪世界最終予選でも正セッターとして五輪出場を目指したが、果たせず。2017年には代表の主将も務めながら、その後、代表からは遠ざかった。
それでも、また代表に戻ってやるという思いは持ち続けていたという。
「それは常にありました。考え方は人それぞれで、『代表がすべてじゃない』という考えの人もいると思いますが、僕は、やっぱり現役でやる以上はトップでやりたいと思うタイプの人間なので。こうしてまた来られたのはよかったし、『よっしゃ!』という感じ。楽しみです」
代表でどんな役割や立場を与えられても、求められた仕事を精一杯やり遂げる覚悟だ。
「それは兄から学びました」と言う。
深津英臣は、深津三兄弟の三男。次男はWD名古屋と日本代表でコーチを務める貴之で、長男はパリ五輪日本代表セッターの旭弘(東京GB)だ。旭弘は2022、23年に、日本代表Bチームで若手選手たちをまとめながら、23年のアジア大会で銅メダルを獲得するなど結果を残し、昨年のパリ五輪でメンバー入りをつかみ取った。
「自分の置かれた場所でしっかりとベストを尽くすことの大事さ、それに、若い選手と一緒になって、プレーだけでなくコミュニケーションも取って、自分の立ち位置を作っていくことの大切さを、すごく兄から学びました」
今年度の登録メンバーに選ばれた際には、旭弘から「頑張れよ。怪我だけないようにね」と声をかけられたという。
パリ五輪後、旭弘は、「うちの子供たちが、パリに応援に行ったのがすごく楽しかったみたいで、『ロスにも行きたい』って言うんですよ。だから『オミ(英臣)が行ったら行けよ』って言ってるんです」と話していた。
それを英臣に伝えると、「へへへ」と笑いながら言った。
「あいつは37歳でパリオリンピックに行った。僕もロスの時にはそれぐらいなので、希望をもたらされますね。彼が(できると)証明してくれたので」
日本代表監督に就任したロラン・ティリ監督とは、23-24シーズンまでパナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)で4シーズン共に戦っており、指揮官からの信頼は厚い。
24-25シーズンに移籍したWD名古屋では、自身も含め大きくメンバーが変わったチームを巧みにコントロールして優勝争いに絡み、改めて力量を示した。
経験すべてが血肉となる。セッターは“ベテラン”と呼ばれてからが面白い。