2面のコートから、さまざまな声が飛び交う。
一方は3対3、ボールコントロール力を育みながら攻守の連携を意識し、もう一方では相手ブロックに対していかに攻撃の手札を増やすか。それぞれの目標に向け、設けられた課題をクリアすべく限られた練習時間を費やす。目的は同じで、試合時にまとう「清風」のユニフォームの色も同じ。異なるのは、一方が中学生で一方が高校生。ただ、2面のコートに張られたネットで隔てられていても、両者の間に壁はない。
時折、高校生が中学生の練習に入り、ボールを打つ場面もごく当たり前にある。気になること、意識させたいポイントを短い言葉で選手たちに伝えながら、清風中学を率いる伊藤晋治監督が言う。
「高校生がボールを打ってくれて、乱打も一緒にできる。そのおかげで、球慣れが全然違う。改めて、いろいろな人たち、環境、感謝が一番やなぁ、と思いますね」
8月17日から20日まで、長崎で行われた全日本中学校選手権大会(以下、全中)で清風中は初優勝を飾った。創部3年目、三度目の全中で全国制覇。輝かしい記録樹立の背景を伊藤監督は「勝てたのは選手たちの頑張りと、さまざまな縁やタイミングに恵まれたこと」と目を細める。
「(創部)1年目は3年生が1人しかいなかったので『3年生にメダルを』を目標に掲げて、スーパーエースがいた去年は『絶対勝つ』と本気で優勝を狙ったけれど、準決勝で負けてしまった。今年はその経験を踏まえて、最後まで自分たちがやってきたバレーをやりきりたい、という思いを持って掲げたテーマは『感謝で勝つ』。応援してくれる保護者はまぎれもなく日本一の保護者で、その保護者への恩返し、そして高校の山口(誠)先生、高校生、学校の先生方。みんなに感謝の気持ちを持って、最後までエンジョイバレーを貫いた。将来有望な選手が各チームにたくさんいて、未来が明るくなるような大会で、今年のチームは世代を代表するような選手はいなかったですけど、楽しく、勝つことを証明できた。僕から見れば全員がスターでヒーローでした」

もともと中学にもバレー部はあったが、多くの五輪選手も輩出し、伝統を誇る同校の体操競技部のように、中高一貫での強化を目指し、2023年に従来の部とは別に、競技部としてのバレー部を創部。そこで指揮官として就任したのが同校OBでもある伊藤監督。当時は小学校で教頭職を務めながら、京都の山王バレーボールクラブを率い、過去四度の全国制覇に導いた実績もある。加えて、高校を率いる山口監督は伊藤監督の1学年下の後輩で、在学時から親交も深く、クラブを巣立って行った卒業生を清風高に送り出してきた縁もあった。
小学校と中学校、カテゴリーは異なるが基本技術とデータに基づき、明確な指標を立てて選手が実践するスタイルは同じ。「僕の学生時代は気合と根性で育って来たけれど、小学生バレーの優れた指導者の方々に、違うバレーボールの楽しさを教えてもらった」という伊藤監督が実践し、日本一に導いたバレーボールスタイルはシニア代表やSVリーグのチーム戦術も彷彿とさせるような、具体的な数字に基づいたものだった。
「サイドアウト率を70%超えれば勝てる、と言い続けてサーブレシーブからの攻撃を磨くことにプラスして、30%のブレイク率に達するには相手の攻撃を『3本に1本ワンタッチして攻撃に切り返せばいい』と。僕はオフェンスを教えるのが得意で、ブロックは山口先生が得意なので教えてもらって徹底的に取り組んだ。その結果がまさにつながったのが決勝です。サイドアウト率は72%、ブレイク率は33%。このチームが発足してから意識させてきたスパイク配分も理想通りで、最後はキャプテンの(大八木)樹のバックアタックがノーマークで決まった。完璧なフィナーレでした」
近年の高校バレーはチームにアナリストがいて、データを駆使するチームも少なくない。清風もまさにその1つなのだが、全中出場が決まると、高校生のアナリストも中学生のためにと伊藤監督と共にデータ収集や分析を手伝ってくれた。
同じ環境で練習しているだけでなく、実際に中学の試合が近づけば高校生が6対6の練習に入ることもある。単に中学の強化だけでなく、高校生にとっても新たな気づきの場。その関係性があるから、中学生が勝てば高校生も一緒に喜んで称え、逆も然り。負ければ互いに悔しさを分かち合い、次へつなげる糧にする。
伊藤監督が“スーパーエース”と称したのが、創部時に入学し、中学選抜の主将とエースを担った後、清風高の1年生エースとして今夏のインターハイに出場した西村海司。4年ぶりとなった清風高のインターハイ出場が決まった後、西村は出場が決まった喜びをこんな言葉にしていたのも、中学と高校が共に戦ってきたひとつの証だ。

「僕が中学にいた3年間、インハイ予選で負けてすごく悔しそうな高校生たちの姿を見て来た。だから僕はその分も自分が高校で絶対に晴らしたかった。出場が決まったことはすごく嬉しかったし、先輩たちの分も自分たちが頑張る、という気持ちが強くありました」
公式戦になれば、中学のベンチに高校の山口監督がコーチとして、高校のベンチに伊藤監督がコーチとして入ることもある。時折「邪魔をしてしまうこともあるので、外れたほうがいいとも考えた」(伊藤監督)と言うが、互いが監督という重責を担い、日々真剣に向き合う立場だからこそ、分かり合えること。発想や教え方に違いがあるからこそ、生まれる刺激と学びがある。そう明かすのは山口監督だ。
「伊藤先生は技術指導が素晴らしい指導者で、チームをつくりあげていくのがうまい。それを間近で見て、聞くことが勉強になるし、高校生にも学びがある。高校で目指すバレー、やりたいバレーの土台となるところを中学で育まれるのは間違いなくプラスで、それをどう高校でつなげるか、というのが指導者として僕自身の課題でもあります」
中高一貫とはいえ、清風中の選手だけが高校へ上がるわけではなく、違う中学校から高校に入学する選手もいる。私立の強豪校である以上、大阪近郊の選手が主体とはいえ石川県出身の山口監督も越境留学をして、バレーボールの知恵と技術を磨き、セッターとして東レアローズ(現・東レアローズ静岡)や日本代表でも活躍してきた実績がある。
かつての自身のように「清風で強くなりたい」と望む選手をどう育て、次につなげていくか。中学が全国制覇を成し遂げたからこそ、高校で新たに生じる課題もあるが、それもまた、互いが目指す目標を叶えるために超えるべき壁でもある。
「中学で日本一になったから高校でも日本一になれるか、と言えばそんなに簡単な世界ではない。でもだからこそ、高校で輝かせてあげられるように僕らがやるべきことがある。そのためにまずは『清風でやりたい』と思ってもらえるような魅力あるチームをつくること。選手と同じく、指導者も一歩ずつ、ひとつずつ、ですね」

10代の2人が清風高で出会った頃、京都から通っていた1歳上の伊藤先輩はいつまでも「もう1本!」と声を張り上げボールを追う、1歳下の後輩を「まだやるんかい」と半ば呆れながらも、最後までやり切る姿を毎晩のように見た。そして、ひたすら努力する姿を心から尊敬していた。
「あんな選手はいない、と心底思うぐらい山口誠はすごかった。でもバレーを離れれば、駅の自動改札に怯えていたり、デカくてうるさい(笑)。バレーが好きな素晴らしい人間でそれは今も変わらない。彼と一緒にやれるのが楽しいから、一緒に、いいチーム、いい選手を育てていきたいです」
全中は終わったが、29日には清風高の選手が少年男子大阪代表として出場する国民スポーツ大会があり、それが終われば年始の春高へ向けた予選も始まる。
この先も“感謝”と“魂”を共に――。
壁を越え続けていく先に、きっとまた、最高の景色が広がっているはずだ。