元女子日本代表の大山加奈さん [写真]=須田康暉

 栄光と挫折。たった「五文字」で彼女はその競技人生を総括する。説明不要かもしれないが、大山加奈さんは日本のバレーボール界を代表するスター選手だった。小中高すべてで日本一を経験し、下北沢成徳高の在学中から日本代表でプレー。20歳で出場したアテネオリンピックは同学年の栗原恵との「メグカナ」コンビでチームを引っ張った。

 もっとも、誰もが羨む楽しい競技人生を送ったとは言い難い。腰の深刻な故障、メンタルヘルスの問題はまさに「挫折」で、彼女は二十代の半ばでコートから去った。

 現在の大山さんは自分の挫折をネクストキャリアに活かし、バレーボール教室や講演といった形で多彩な活動を続けている。インタビュー前編では「栄光と挫折」を経て選手を引退し、会社の社員に戻り、そこからさらに独立を実行するまでの日々を語ってもらっている。

――大山さんの現役生活をひとことでご説明いただいていいですか?

大山 ひとことで言うなら「栄光も挫折も両方経験した」競技人生です。小中高の全世代で全国制覇を経験させてもらって、20歳でオリンピックに出ました。そこから引退するまでは怪我とメンタルヘルスの問題ですごく苦しい、まともにバレーボールのできない数年間でした。

――小中高すべてで全国優勝されている方はほとんどいらっしゃらないと思いますが、他にどなたかいますか?

大山 妹がいますね(未希さん/小中高社会人と同じチームの1つ下で、今は大山さんとともにバレーボールの普及活動をしている)。

――20 歳で出場したオリンピックがアテネ大会で、その次の北京大会は出場されていませんね。

大山 手術を受けたのが北京オリンピックの最中でした。

ケガもあり現役を引退した大山加奈さん [写真]=須田康暉

――引退やネクストキャリアについて考え始めたのはいつ頃ですか?

大山 「その後」までは考えていなかったですけど、引退を意識したのはやはり(腰の)手術前です。脊柱管狭窄症(※せきちゅうかんきょうさくしょう/背骨の中にある神経の通り道が狭くなり神経が圧迫される病気)という症状でしたが、通常はご高齢の方が発症するものです。アスリートとしては前例がなく、手術もリスクのあるものでした。競技をやめれば手術しなくても済むのでは?という発想もありましたし、手術しても復帰できるか分からない。ならば、もう現役を辞めてしまおうかと考えたのが23歳のときです。

――プロではなく「東レの社員」という立場でしたが、引退後の不安はどうでしたか

大山 「バレーボールを取ったら自分には何も価値がない」と思ってしまっていて、その不安はやはりありました。ただそのまま残って社業をやることもできるのは、先輩方の姿を見て分かっていたので、いざとなったらその道もあるぞという感覚もありました。

――手術前後はほぼ2シーズン、試合に出られなかったと聞いています。そして26歳で引退されました。

大山 幸いにも手術は成功し、術後のシーズンは終盤にワンポイントでコートに立ちました。その翌シーズンからはフルで行きましたが、腰の痛みが再発してしまいました。痛みから解放されて、リハビリで身体の使い方に変化も感じて『第二のバレーボール人生が始まるぞ』と、すごくハイテンションになっていたので……。だからこそ再発してしまったときに心がポキッと折れて、もうリハビリまで戻れなかったです。

東レアローズ時代の大山加奈さん [写真]=ご本人提供

――お辛かったと思いますし、簡単に切り替えられるというものでもないと思いますが、どう次に移っていったのですか?

大山 バレーボールから距離を置こうと思って、滋賀にあるチームの合宿所から離れました。自分のダメな部分にばかり目が向いてしまうし、頑張っているチームメイトたちと一緒にいることが苦しかったです。幸い大阪に仲良くしている家族がいたので、そこに一カ月半ほど身を寄せて、今後をどうするかについて考える時間を設けました。引退は心のどこかで決めていたと思いますが、多くの人を裏切ってしまうという思いが邪魔をして、すぐには決断できなかったですね。

――ネクストキャリアに向けてはどう動き出しましたか?

大山 元々小さい子が大好きだったので、保育士になりたいと思ったんです。でも腰が痛くて保育士はちょっと……(苦笑)ただでさえ背が大きいから、前傾姿勢が多くなりますよね。

そこから「子供達と接しながらバレー界に恩返しをしたい」という思いが芽生えました。東レという会社は優しくて、社員として残らせてもらいながらVリーグに1年間出向という形をとらせてくれました。パソコン教室にも通わせてもらいましたし、秘書の方からマンツーマンでビジネスマナーを学ばせていただく経験もしました。引退を発表する前からパソコン教室に通ったので、みんなからすごく見られて、小さくなりながらやっていました(笑)

――東レではどういう仕事をされていたんですか?

大山 広報室に所属して、バレーボール教室や講演といった活動をさせてもらいました。東レと書いてあるウェアを着て「会社の名前を売る」仕事ですね。他の社員の方と全く違う動きになるし、出社しない後ろめたさみたいなものもありましたが、最終的には円満退社をさせてもらいました。

【インタビュー後編】バレーボール・大山加奈さん|「幸せな競技人生」は自分でなく荒木絵里香をお手本に  “PDM”に見出した使命はこちら>>

【大山加奈プロフィール】
小学校2年生からバレーボールを始め、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校在学中から日本代表に選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。力強いスパイクを武器に「パワフルカナ」の愛称で親しまれたが、腰の怪我の影響もあり2010年に現役を引退。現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、ヴィアティン三重のPDMなど多方面で活躍中。

アスリートとネクストキャリアを考える新サービス『アスミチ(ath-michi)』

引退後の進路に、不安を抱えているアスリートは少なくありません。 私たちは、ネクストキャリアの選択肢が広がり、アスリートの皆さんが前向きな気持ちでその将来を見つめられるように、どんな課題があるかを照らし、多くの知見や経験を共有していきたいと考えています。

そこで、アスリートのネクストキャリアへの道を拓くため、その支援を行う事業の推進を目的に、メディアサービス『アスミチ』をオープンしました。 アスリートとともにアスリート自身のネクストキャリアを考え、希望を持って競技生活からネクストキャリアの道に進めるよう情報発信を行っていきます。

この記事を書いたのは

大島和人

大島和人 の記事をもっと見る