インドアとビーチバレーボールの二刀流を実現させている水町泰杜。2025年のビーチバレー活動では「ジャパンビーチバレーツアー2025 第7戦グランドスラム エスコンフィールドHOKKAIDO大会」(9月5日〜7日)で自身初となる国内大会優勝を飾った。水町の代名詞ともいえ、インドアではお馴染み、そしてプレーを砂の上に移しても武器となったのがサーブだ。
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案の定、だった。
今年7月、「FISUワールドユニバーシティーゲームズ2025(ライン-ルール)」のビーチバレーボール競技が行われたデュイスブルグにて。大会の準決勝を観戦しながら、筆者の隣でトヨタ自動車ビーチバレーボール部の青木晋平ヘッドコーチがぽつりとこぼした。
「あいつ…こんなサーブが打ちたい、って言うんだろうなぁ」
目の前のコートでは男子のフランスvs.オランダ、それにドイツvs.イタリアが行われていた。ただ、その“あいつ”は、競技会場の仮設スタンドの収容人数の兼ね合いで青木コーチとは離れ離れになっていた。試合をどんな眼差しで見ているかはわからない。けれども想像はできた。
その日の全競技が終了し、会場の外で落ち合う。そこで開口一番。
「やっぱりあれですよ、あのサーブ。あれが打てるようになりたいです!!」
キラキラと目を輝かせた水町泰杜が、そこにいた。
この夏、ビーチバレーボールプレーヤーとして水町は飛躍的な成長を遂げた。それは本人も認めるところで、「ドイツに行かせてもらえたことが自分にとっては大きかったです。海外勢のプレーを見るだけでも、それに、あのレベルだからこそ吸収できることがたくさんありました」と言ってやまない。
そうして体得したのがサーブだった。特に水町がチェックしたのは、フランス代表のジョワデル・ガルドゥケ、それにイタリア代表のフィリッポ・マンチーニ。いずれも効果的な、ときにサービスエースを奪うサーブを放っていた。
「あのサーブを打ちたい」
そう胸に留めて帰国した水町はさっそくサーブに取り掛かる。ユニバーシティーゲームズを終えてから次の公式戦までは幾分かの期間があり、なおかつペアを組む黒澤孝太(明治大学4年)とは別調整だったため、個別練習に時間が割けた。そこでは完全なるモデルチェンジにトライした。
「まずはインドアの概念をすべて捨てました!! これまではサーブのトスにしても、『インドアではこうだから』という考え方だったんです。それを全部捨てるという。
簡単に言えば、彼(ガルドゥケ)のサーブを真似することから始めました。見て真似するのは割とできるほうなので。徐々にフィーリングをつかんできて、ジャンプサーブも安定するようになりました」

インドアとビーチで、何が違うのか。水町は解説する。
「インドアでジャンプサーブを打つときは、前に向かって跳びながら打ちますよね。ですが、ビーチバレーは上に跳ぶんです。トスしたボールを高い打点でヒットさせることが大事になってくる。それに、インドアと比べるとコートが計2メートル分、狭いので短い距離でボールを落とさなければなりません。まずは助走をそれほど長くとらずに、トスはまっすぐ上げて、真上にジャンプして手首を使って打つ、そのように変えました」
ビーチバレー初挑戦となった2024年シーズンから、すでに水町は何度もサーブを突き刺していた。その反面、やや安定感に欠いていた。それは、ビーチバレーボール仕様になりきれていなかったというわけだ。
「僕自身、『サーブ=サービスエース』というインドアの考え方が染み付いてしまっているので。その概念をすべて捨てたら途端によくなりました」
聞くに、習得できたと実感したのは帰国して1週間ほどだったという。真似して実践する、言うほど簡単ではないはず。とはいえ、高校時代も当時の憧れだったミハウ・クビアク(元ポーランド代表)のサーブの上げ方に挑戦し、すぐに自分のものにしていた。そこは水町に備わる天賦の才、とでも言えようか。
果たして、帰国後最初の国内大会「ビーチバレージャパン JVA第39回全日本ビーチバレーボール選手権大会 男子」(8月11日〜13日)では、さっそくサーブが火を吹く。ハイライトは大会2日目の3回戦。髙橋巧/池田隼平ペアを相手に試合開始から3連続サービスエースを奪ってみせる。もっとも、この日は「風速があと秒速2-3メートル速くなれば中止も検討される段階」(青木コーチ)であり、「ストロングサーブを打てばいいだけでした」とは水町の告白。それでも対戦相手の池田は、水町の成長を感じていた。

「これだけ風が強いと、サーブが勝敗に大きく関わってきます。水町選手のサーブはパンチ力がありますが、ジャンプサーブは8メートル四方のコートだとアウトになりがちなんです。ですが、風があることで大概のボールはコート内に収まる。レシーブする側としては、なかなか難しかったですね。
それにゲーム慣れ、してきた印象です。ドイツを経験したこともきっと影響しているでしょう」
結果として、その大会では準優勝に輝いた。最終日はほぼ風もなく、そこで水町は「きちんとコート内にも収められていたので、手応えを感じていました」と明かしていた。
ただし、水町のサーブの進化は、ここで止まらなかった。むしろ他の誰でもない本人が、進化に貪欲だった。続く「ジャパンビーチバレーツアー2025 第6戦青森大会」(8月30日〜31日)。詫間悠/関寛之ペアとの一回戦で、水町はことごとくストレート方向のサーブをミスしていた。フルセットにもつれる拮抗した展開のなか、試合の終盤で水町はエンドラインに立つと腹をくくっている。
「それまで3本連続かな。ラインに打ってミスが続いていたので、相手コートの真ん中に入れることも頭をよぎりました、正直。ですが、『ここで逃げたら、自分の成長のためにならないな』、そう思ったんです」
果たして、ストレート方面に打ったサーブはポイントに。試合の流れを一気に手繰り寄せるサービスエースとなった。
「あれが決まったのは、最高に気持ちよかったです。かなり打ち分けができるになってきましたし、狙ったところにひたすら打つ練習をしてきましたので。サーブはいちばん自信がなかったけれど、少しばかりは自信がついてきました」

その自信が最高の形で花開いたのが、「ジャパンビーチバレーツアー2025 第7戦グランドスラム エスコンフィールドHOKKAIDO大会」だった。準決勝では直近3度の対戦で全敗を喫していた黒川寛輝ディラン/長谷川徳海ペアにリベンジを果たす。その試合はマッチポイントから、最後は水町が相手ペアの間にボールを突き刺し、ノータッチエースを奪ってみせた。
“4度目の正直”をかなえ、初タイトルへ加速した、このときの胸中を本人はこう振り返った。
「サーブで崩して、自分が拾って決める、ですかね(笑)。あのときイメージしていたのは。まさかサーブで終わるとは思っていませんでした。
実際、サービスエースを狙ってはいなくて、たまたまです。ただ、長谷川選手も捕りたくなかったでしょうし、ディラン選手もそれまで狙われてなかったので。お互いにお見合いしやすい心理状態だったはず。そこで戦術的にコートの真ん中を狙って、サーブを打ったわけです」
意外とも思えた。これまで勝負がかかった場面では、自分でサーブポイントを奪いにいく姿勢をこれでもかとみなぎらせてきた男だ。なのに、この場面はまるで違ったのである。水町は言う。
「ビーチバレーではサービスエースの概念は頭から取り除いているので」
その言葉は、まさにビーチバレーボール選手になった証しだった。

そんな進化を伴った2025年のビーチバレー活動を終えて、今、水町は再びインドアの戦いに身を投じ、WD名古屋の一員としてコートに立っている。
10月19日のプレシーズンマッチでは第1セットのファーストプレーでサービスエースを奪った。10月26日の2025-26 大同生命SVリーグ開幕節では今季初スタメンのGAME2で、一発目のサーブをノータッチエースで得点している。今も変わらず、サーブは武器の一つだ。しかし、シーズン前にはこう漏らしていた。
「ビーチバレーの期間でサーブを大幅に変えたので。インドアのサーブが入らなくなるかもしれません(笑)。でも数をこなせば大丈夫!! 次第に慣れてきますよ」
実際に、インドアではトスをやや体に近づけるように上げてしまっており、理想的なヒットができず、感覚としては100%には至っていない。
それもまた、二刀流ゆえの悩みだろう。けれども、そんな難しさも克服するために試行錯誤を重ねる。それが水町にとっては面白さであり、やりがいであり、そして何より己の成長を感じられる喜びそのものなのだ。





