春高こと「JVA第78回 全日本バレーボール高等学校選手権大会」が1月5日(月)から東京体育館を舞台に開幕する。男子の鎮西高校(熊本)は今シーズン、ここまでインターハイと国体を制しており、“高校三冠”へ王手をかけた。その命運をにぎるのが2年生エースの一ノ瀬漣だ。
鎮西高校では入学当初からレギュラーに抜擢されると、自身にとって初めての春高である昨年度の第77回大会では準々決勝で東亜学園高校(東京)に敗れたものの、身長191㎝、最高到達点333㎝の高さを活かしたダイナミックなアタックは強烈なインパクトを残した。まさに「次世代のエースアタッカー、ここに現る!!」というキャッチコピーが飛び交った中、本人も注目度が高まったことを実感したそう。
「1年目のインターハイの頃から、うれしいことに周りからも注目されるようになりました。ですが、やはりまだまだ1年生だったな、と感じます。春高は3年生たちにとって最後の大会。そこでレギュラーとして試合に出ている自分が東亜学園高校戦でもう一段階、ギアを上げることができませんでした」

果たして高校生活2年目を迎え、幾多のエースアタッカーを輩出してきた鎮西高校において、その系譜に堂々と名を連ねている。もっとも、その名が全国区となったのは中学生の頃だ。
地元・佐賀県の「佐賀バレーボールクラブU14男子」では3年生時に出場した全国大会「第26回全国ヤングクラブ優勝大会」で日本一に輝き、最優秀選手賞に輝いた。同年の「JOCジュニアオリンピックカップ第37回全国都道府県対抗中学大会」では大会優秀選手に選出されると、翌2024年2月の「令和5年度全国中学選抜」(以下、全中選抜)海外遠征メンバー入りを果たしている。
その全中選抜が、一ノ瀬漣を“真のアウトサイドヒッター”へと成長させるきっかけとなった。中学生の時点ですでに恵まれた体格を備えており、高い打点からのスパイクは対戦相手を圧倒した。だが、それは日本国内にかぎった話。海外遠征先のイタリアではU17世代の欧州圏の代表チームや現地クラブと対戦したわけだが、一ノ瀬自身、面をくらった。
「相手は少し年上なだけですが、何より高さがまるで日本と違いました。なかなかアタックが決まらず、『どうすればいいんだろう?』と考えすぎて、さらに決まらなくなる…という具合でした」
その様子を見た全中選抜男子チームのスタッフの一人、山名泰明先生からは「周りのメンバーと比べて、表情も声も悪い。どこかつっかえているものがあるんじゃないか?」と心配の声が一ノ瀬本人にかけられるほどだった。

負の連鎖へ輪をかけたのがレシーブ面。アウトサイドヒッターとしてコートに立つ以上は、サーブレシーブで攻撃の起点をつくることが役目の一つ。しかし海外勢の力強いサーブに崩されるシーンが続いた。
「これまでだと自分一人がミスをしても、周りがカバーしてくれたので問題ありませんでした。ですが海外のチームは1本でもミスしたら徹底的に狙ってきます。こんなに悔しくて、心が折れたりするのは初めてのことでした」
それが現地のクラブチーム、トレビゾとの練習試合で味わった挫折だった。その翌日からは現地で開催されたユース世代の国際大会「Nations Winter Cup」へ。大会に向けて全中選抜男子チームでは、リベロに就く選手を立候補で決めた。当初は別の選手に決定したが、大会当日に体調不良に見舞われたことで急遽、人選を定めることになる。
「前日のトレビゾ戦ではサーブレシーブもダメで、アタックもブロックに全部かかっていた。その分、今日はまたアタッカーとして挑戦して、前日の課題を乗り越えたいと考えていました。ですが、あらためてリベロを決める際に、スタッフの先生方から『一ノ瀬でどうだ?』と聞かれたときに、『リベロができるチャンスは滅多にないから、やってやるんだ!!』と腹をくくりました」
なにせ、これまでは所属先で絶対的エースアタッカーを担ってきた身だ。一転して、今度は守備専門のポジションである。
「大会初戦のアップの時点から、サーブレシーブで不安を覚えていました。前日の苦い経験があっただけに、自分のところにきてほしくない…とまで思っていましたから。ですが試合が始まって、第1セットの中盤あたりからは徐々に『自分のところにサーブがきても、絶対に捕れる』という自信がついてきました」
リベロとしてプレーする際に、スタッフから伝えられたのは「周りを支えてやれ」という言葉。
「仲間へ指示したり、ときには背中をたたいてあげたり。ミスをしても自分が『大丈夫!!』と声をかけることで、気持ちの面でも周りを助けられたと感じています。実際にリベロをやってみて、リベロという存在の大きさをめちゃくちゃ実感しました」

そう話す一ノ瀬自身は「ネガティブになりがち」な性格だ。海外遠征でも最初こそ「日本国内しか知らなかったので、自分は通用するのではないか、と踏んでいました。ですが、海外の選手を見ていると、とてつもなくて。だんだんと気持ちが下がっていきました」と振り返る。
それでもリベロというポジションに挑戦し、周りに声をかけることが自分を奮い立つことにつながると認識した。そのことは、いざアタッカーとしてプレーする際にもプラスに働いた。「Nations Winter Cup」でリベロデビューを果たした初日を終えて、一ノ瀬はこう語っている。
「リベロをしたことで、自信を取り戻せたといいますか。トスも『自分にも持ってこい』と思えるようになりました。とりあえず点数の決め方などを考えすぎず、自分らしく思いきり、点数をとることに集中して打ちたいです」
そう話す表情も顔つきも、大会前からは明らかに変わっていた。
あれから約1年半を経て、今や名門校のエースを務める一ノ瀬はしみじみと語った。
「イタリアで対戦した相手はみんな高さがありましたから、そこをどうやって抜いて得点するか。またリベロを経験させてもらったことも大きかったですね。高校ではどうしても、相手サーブはリベロを外して自分を狙ってきますから。そこでも崩れないことが今はできています。
かつて自分はアウトサイドヒッターとはいえ、【アタックが自分の中でいちばん、レシーブは流れ作業】という感覚でいました。ですが、今だとそれでは崩れるのが当然ですから。サーブレシーブをしっかりと返してからアタックに入る、その一連の動きが身についてきました」
今回の春高を前にした「令和7年度天皇杯 全日本バレーボール選手権大会」では、SVリーグの日本製鉄堺ブレイザーズと対戦し、そこでは名だたるサーバーの打球を受けた。

「まだまだ本気で打ってはきてないんだろうな、とは感じました。返球できた自信は少しだけ…です。ただ自分の前を狙われることが多かったので、そこでもしっかりとバックアタックに入ることを練習していかなければ、と思いました」
描く成長の道のりは、高みへとつながっている。日の丸をつけて戦ったイタリアの地で口にしていた、自身の将来像は「髙橋藍選手(サントリーサンバーズ大阪)や石川祐希選手(ペルージャ)のようにレシーブもできて、アウトサイドヒッターとして海外相手でも通用するような選手」。まずはこの春高で、その階段を一つでも二つでも駆け上がる。




