[写真]=李正洋

 17年前の2009年1月、スポーツニュースの話題は高校サッカー界に現れた一人のエースストライカーがかっさらっていた。第87回全国高等学校サッカー選手権大会において、鹿児島城西高校(鹿児島)の大迫勇也が史上初となる大会初戦から4試合連続で2ゴールをマークする大活躍を披露。そのアンストッパブルぶりに対戦相手も同じ高校生ながら敬意を払うしかなく、準々決勝で2発を“被弾”した滝沢第二高校(兵庫)のキャプテンが試合後のロッカールームで「大迫、半端ないって!!」と嘆く様子は、そのすさまじさを象徴するシーンとして今なお映像で使用される。

 この大迫のストーリーもあいまって、鹿児島城西高校といえばサッカーのイメージを抱いていたわけだが(とりわけ筆者は)、こちら2026年1月の「春高」こと第78回全日本バレーボール高等学校選手権大会に出場した同校の1年生エース、頼冨果穂はそれほどピンときていないようだ。

 「鹿児島城西…。あぁ、確かにサッカーですね」

 無理もない。頼冨が生まれたのは、それこそ大迫が全国大会でゴールを量産した2009年なのだから。

 頼冨は武中学校(鹿児島)時代から女子U16-17日本代表として各選手権大会を戦い、令和6年度全国中学生選抜の海外遠征では現地イタリアの国際大会で優勝に貢献、MVPに輝いた実績を持つ。この冬、鹿児島城西高校の女子バレーボール部が実に32年ぶりの春高出場をかなえる、その原動力となった一人だ。

 「学校としては32年ぶりの春高なので、鹿児島城西の名前はおそらくほぼ知らないと思うんです。今大会の目標は、全力で楽しむこと。それにチームがベスト8以上を目指しているので、『鹿児島城西が勝った!!』と周りが驚くような結果を出して、学校名をもっともっと全国に広めたいと考えて春高に臨みました」

 そんな思いで自身初となる春高へやってきた頼冨。初戦は1月6日、郡山女大附高校(福島)との一回戦。一つ前の試合がフルセットにもつれこみ、コートサイドで準備する時間が必然的に長くなった中、頼冨はどこかソワソワしている様子だった。

 「もうワクワクで。早く試合がしたい!!みたいな感じでずっと体を動かしていました」

 胸の高まりを、いざ試合でぶつける。相手サーブで始まり、味方が返球したボールはセッターを介して、レフトの頼冨のもとへ。記念すべきファーストプレー、しっかりとアタックの助走に入り、最高で3mに到達する跳躍からボールを打ち込む。が-。

 「めちゃくちゃ跳べていたんです。自分でも『うわ、跳んでる!!』と思うくらい。そのまま思いきり打ちにいったら、手に当たらなくて」

 ボールは盛大にコートの外へ。試合後、チームメートから「一回だけ野球のホームランを見たんだけど?」とツッコミが入るほどの、スパイクアウトだった。

 「もう、ほんとうにやばかったですね(笑)けれども、いい思い出になりました。高校生活で初めての春高で、いちばん最初のプレーがホームランという」

 真剣勝負の最中だというのに、他でもない本人がコート上でにんまりするほどの“笑撃”デビューだった。

“笑撃”デビュー直後の頼冨 [写真]=坂口功将

 とはいえ、すぐに切り替えてみせている。続くプレーでレフトから決めきり、自身の春高初得点をマーク。「1本目をふかしてしまったので、次から修正して、しっかり決めていくんだ、と。最初から自分がガンガンいかないと後々厳しくなってくるので。そこはもう自分が攻めて、打ちきる意識で前衛3つのローテはプレーしていました」

 結果的に郡山女大附高校を2-0(25-22,25-15)で下しての一回戦突破。頼冨はエースとして得点を量産したが、一方でサーブポイントが奪えなかったことに未練を覚えていた。

 「いやぁ、まじでサービスエース取りたかったです。ちょっと力みすぎてしまいました。ほとんどのボールがネットにかかっていたので、明日はもう少しリラックスして打っていきたいなと思います」

 翌7日、誠英高校(山口)との2回戦は一巡目のサーブ順でさっそく、そのときはやってきた。14-12から自身のアタックでサイドアウトを奪った頼冨は、続くプレーではサーブを返球されたもののトランジションから味方の2年生アタッカー砂坂莉湖が得点してブレイクに成功。そうして、16-14からノータッチエースを決めてみせる。実はこのとき、頼冨は実戦の中で、自分の課題と向き合っていた。

 「初戦からサーブは自分が得意なコースをずっと打っていたんです。ただ、この試合ではターゲットとする相手選手が、それほど得意ではない方向(ポジション1=後衛ライト)にいました。練習試合でも何本か決まっていたので、なんだかいけそうだと思って、そちらのストレート側に打ちました」

 アンダーエイジカテゴリー日本代表の試合でも頼冨はことあるごとにサーブで得点を奪ってきた。そのうえで「得意なクロス方向はもちろん、ストレート側へ打つサーブも極めていきたい」とは常に抱いてきたビジョンであり、春高という大舞台で今回、成功体験を得たというわけだ。

 だが試合は0-2(25-27,14-25)で敗れる結果に。頼冨は第1セットの25-25から痛恨のスパイクアウト、続く第2セットは14-24から最後はブロックシャットを浴びる。いずれもバックアタックであり、それは自分がたとえ後衛に回っていたとしても、ボールを託されるエースだという証明だった。しかし、そこで得点できなかった事実が試合後、悔しさとして本人の胸を締めつけた。

 「最後は気持ちで打ちにいきました。ですが決めようと思いすぎてコースの選択ができていませんでしたし、決めきりたいという思いと同時に少しだけ『これが最後になってしまうかもしれない』という逃げの気持ちもあったと感じています。決めきることができなかったので…周りの先輩たちに申し訳ない気持ちが強いです」

敗戦直後に悔しそうな表情の頼冨 [写真]=坂口功将

 こうして頼冨にとって初の春高は幕を閉じた。目標だったベスト8以上には届かず、結果は2回戦敗退。けれども、すでに前を向いていた。

 「自分が高校3年生になったときの春高では、日本一を目指して戦えるようになっていたいんです。まずは1年目で全国のレベルを知って、2年目そして3年目で日本一を獲れるように、と描いています。まだまだみんながつないでもらったボールを決めきることができなかったので、どんなボールでも打ちきれるエースになって、またここに帰ってきます」

 本人が今大会を「通過点」と称したように、これはステップアップの一つに過ぎない。必ずや強くなって、この舞台にまた降り立つだろう。それこそ、チームを日本一へ引き上げるようなエースへと成長すれば-。きっと周囲は、「鹿児島城西の頼冨果穂」へ賛辞を送るはずだ。

 半端ないって!!と。

この記事を書いたのは

坂口功将

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