[写真]=須田康暉

 バレーボール選手としてのキャリアを終えた後、アパレル業からモデルへの転身。さまざまなコンテストを経て新たな夢を見つけ、挑戦を続ける中、引退後は「見ることもできなかった」バレーボールと再び交わり、指導者、そして通訳としての道へ進む。

 経験や国籍の異なる外国籍選手と日本人選手が円滑にコミュニケーションを取るべく、自らの役割を「透明でありたい」と語るメイレレスゴンサルベッシュ美帆さん。昨年(2024年)結婚した、同業者である夫からも「支えられ、学ぶことばかり」と語る「今」と見据える「これから」について。語っていただいた。

取材=田中夕子
撮影=須田康暉

モデルから通訳へ「やってみたい」を選んできた人生

――ユナイテッドアローズでの勤務を経て、オーカ・バレーボールスクールと母校の外部コーチとして指導の道にも関わり、その後モデルの道へ。それぞれ、どのような経緯があったのでしょうか?

メイレレス 振り返ると本当にいろいろなことをやってきましたね(笑)。でも「やりたい」と思うことに挑戦していく中で、やっぱり自分の芯、軸になる部分にバレーボールがある、ということにも気づきました。
オーカ・バレーボールスクールは文字どおり「スクール」なので部活とは違って、いわば家庭教師のようにバレーボールを教えることを仕事としている。当然厳しさは求められていないし、生徒さんを上達させるために教えて、そこに対価が発生する。私にとっても新しい発見の連続であると同時に、バレーボールそのものを、心から楽しむ生徒さんを見て「バレーボールってこんなに楽しいんだ!」と改めて気づきました。

そんな頃、たまたま同じ時期に幼馴染が洋服をつくる専門学校へ通っていて、卒業作品としてドレスをつくるんだけど、身長も高いし舞台でもきっと映えるから、ランウェイを歩いてくれないか、と頼まれたんです。バレーボール選手を辞めてから、身長を役に立てることがなかなかない中、またこの身長を好きになれるかもしれない、と思って参加したのですが、ランウェイを歩いた時に「楽しい!もっとこの世界で頑張ってみたい」と思ったんです。本格的にモデルとして生きるためには圧倒的に遅すぎるスタートなのですが、きっと今からできることもある。

さまざまな国際支援やボランティアと連動したテーマを掲げるミスコンテストに出場して準グランプリをいただいて、その後日本のモデル事務所にも所属しました。のちに自分が目指す世界観と方向性の違いを感じ事務所を退所した後は、ミスコンの世界大会に出場しました。約60カ国の参加者と交流できたことは、今でも忘れられない最高の経験、思い出です。バレーボールをしていた頃や、アパレルで働いていた頃には知り得なかったこともたくさん触れることができて、人生で2つ目の夢となったニューヨークコレクションのランウェイを歩くこともできた。新たな世界が広がりました。 

[写真]=須田康暉

――そこから通訳という世界への転身、どんなきっかけでしたか?

メイレレス ミスコンテストの世界大会を終えて、NYコレクションを目指して本格的にチャレンジをしていた時に、コロナ禍と重なってしまいました。思い切って仕事も辞めて、NYコレクションのために最終準備をしていたのに、渡航もできずどうしよう、と思っていた時に、たまたま埼玉上尾メディックスの現GMが「通訳ができる人を探しているので、助けてくれませんか…」と訪ねてきてくださったんです。もちろん通訳の経験などないし、バレーボールから離れて10年近く過ぎている。ルールも選手も技術も変わる中、自分にできるのか、という不安はありましたが、2〜3日考えて「挑戦したい」と思う気持ちが強かったので「やります!」と答え、お話をいただいてから1週間後には埼玉に来ました。私は実家が埼玉なので、それもすぐに飛び込めた1つの理由だったかもしれませんね。

――通訳としての仕事がスタートした当初、大変だったことはありましたか?

メイレレス 当時のチームで監督の通訳をしていた方がポルトガル語と英語の通訳ができるスーパー通訳で(笑)、彼女が使う言葉、セレクトする英語を必死に耳で覚えて書く。何度も何度も練習して、彼女の振る舞いを見ながら学びました。自分1人だったら、お手本もいない中でどうしていいかわからなかったと思いますが、身近に頼れる存在がいたので、私はとても恵まれていました。今でも彼女には心から感謝しています。

[写真]=埼玉上尾メディックス提供 通訳として試合に臨むメイレレスさん

――実際に通訳の経験を重ねる中、学びや気づきを得るのはどんな時、どんなことですか?

メイレレス 選手によってはたくさんの情報がほしい選手もいれば、自分で何でもできるから大丈夫、という選手もいる。求められるものもそれぞれ違います。通訳としてキャリアが始まって1年目は、私も「助けてあげたい、頑張らなきゃ」と前のめりだったのですが、少しずつ慣れていくにつれて、バランスも感じられるようになってきました。特に現在チームに所属するサラ(ロゾ)は在籍3シーズン目なので、日本語も少しわかるようになっているし、もともととても優しくスマートな選手なので、選手との接し方も上手。

みんな本来は自分の言葉でコミュニケーションを取れるのが理想です。一番大切なのは、私がいなくても選手同士で話せる関係性をつくることだと思っているので、そうなれる手助けができればいいな、と思っています。埼玉上尾メディックスは相手を理解しようとする心、優しさのあるチームなので外国籍選手にとっても私にとってもありがたい環境です。日々チームから学ぶことが多く、サラも日本に来て色々学べていることに感謝したいと話していました。

できることを増やせばやりたいことが見つかる選択肢になる

――今は経験を重ねる中で「バランスも取れてきた」とおっしゃっていましたが、失敗した、と思う経験もありましたか?

メイレレス たくさんあります。それこそ1年目はあれもこれもやってあげないと、と思いすぎて、子どもをケアする親のようになっていたと思います。コーチが発する1つ1つすべて訳していたので、選手からすれば、コーチから叱責された後に、私からも英語で伝えられる。感情的になっているから「あなたには言われたくない!」と強く返されたこともありました。ここにおいては彼女がどうこうと言う話ではなく、選手と通訳としての関係性がうまくつくれていなかったことが大きな要因だったと振り返ります。

選手もそれぞれ個性があるように、通訳のスタイルもいろいろあるので何が正解というのはありませんが、通訳がいなければ何もできない選手になってしまうと、親がいないと生きていけない子どもと同じようなことになってしまうと思うので、私は通訳として選手のためにいるけれど「チームがあって、選手があって、私がいる。」その距離感やバランスは気をつけています。選手同士がスムーズに話すことができなくても、お互いに英語と日本語でコミュニケーションを取ることを面白がれる心を持てるように、そういう引き出しを開けられればいいな、と思いますね。

――美帆さんご自身の今後、もっとこんなことをやってみたい、と思うイメージはありますか?

メイレレス 通訳として足りないことがまだまだたくさんあるので、もっと勉強しなきゃ、というのはもちろんですが、日本人選手にも外国籍選手にとっても、「いてくれるとなんかいいな」と思われる存在になりたい、と思いますね。もちろん「いないと困る」と必要とされることは嬉しいですが、1人の人として、なんとなくこの人には話しやすいな、話を聞いてほしいなと思われる存在でありたい。みんな大変な環境で戦っていること、人生の貴重な時間を過ごしていることは私の経験から理解できるので、弱音を吐いてくれてもいいし、なんでもない話をしてくれてもいい。そんな、”なんかいいな” の存在になれたら嬉しいです。

[写真]=須田康暉

――昨年ご結婚したご主人もサッカークラブ(浦和レッズ/ルイス・メイレレス氏)で通訳をされています。同業者同士で助け合うこと、支え合うことはありますか?

メイレレス 日頃から「今日こういうことがあったけど、どうしたらいいかわからなかった」とか、「こういう時はどうしてる?」とお互い話し合えるのはすごくありがたいです。仕事をする同志としても、愛する家族としても、自分の人生だけでなく、彼と一緒に歩む毎日を大切に過ごしていきたいと思いますね。私にワクワクと安心感を与えてくれる、かけがえのない存在です。

――これからセカンドキャリアをどう歩んでいくか、迷っている、悩んでいる方々にご自身の経験からのアドバイス、メッセージがあればお願いします。

メイレレス 私自身もいろいろ悩みましたし、失敗もしてきました。今の選手からも「やめても何をしていいかわからない、やりたいことがわからない」という言葉をよく聞きます。最近読んだ森岡毅さん(日本のマーケター・実業家)の本に「やりたいことを見つけるには、できることを増やした方がいい。人はできることの中からやりたいことを見つけることができる」と書かれていました。まさにそうだな、と思いますね。

私自身も専門学校の時に無我夢中で勉強をし、資格を取って、できることを増やした。あの日々も今につながるもので、頑張ってよかったと思えたし、たとえ失敗したとしても、次はこれをやってみよう、と踏み出せる。どれだけ選択肢があるか、その中から何を選ぶのかというのが大切だと思います。

できることを少しずつ増やすことで、世界が広がって、やりたいことにもつながっていく。私の宝物であるバレーボールに、英語という強みが加わった。常に自分の中に軸はあって、その中で「通訳」という今の仕事と出会うことができました。好奇心を持って、今できることをやってみようと思ってチャレンジすることが次のキャリアにつながる。スポーツ選手になる時は敷いてもらったレールを走ることが多くて、現役を辞めてからはその道を自分で作らなければならない。その過程はすごく大変ですけど、でも作ることができた先には嬉しさや楽しさが待っている。できることは必ずあるから、自分を信じて進んで行ってほしいですね。

【メイレレスゴンサルベッシュ美帆プロフィール】
埼玉上尾メディックス 通訳
埼玉県上尾市出身 1988年生まれ
母、姉の影響を受けて中学時代にバレーボールを始め、高校は強豪の市立川越高校へ進学。卒業後パイオニア・レッドウィングスに入団するが、腰の不調などもあり4年で現役を引退。学生時代から関心のあった語学の専門学校に進み、留学、アパレル企業への就職を経てバレーボールのコーチに転身。その後モデル活動を開始し、Miss Hope Japan準グランプリや日本代表として出場したMiss Model of the World世界大会ではBest international friendship award を受賞した。現在はバレーボール日本トップリーグの大同生命SV.LEAGUE埼玉上尾メディックスで英語通訳として活躍中。