日本大学在学時に3年生ながらチームを改革し、30年以上関東男子2部リーグにいた日大の1部復帰に大きく貢献した細田寛人さん。卒業後は現在SVリーグに所属するジェイテクトSTINGS愛知にアシスタントコーチとして入団すると、2019-2020シーズンのリーグ優勝を果たした。
その後すぐに引退し、日本大学のコーチとして母校を支え、選手育成に力を入れている。
そんな細田さんが大切にしている、バレーボールチームの作り方とは。コーチとして母校の指導を務める細田さんにお話しを伺いました。

恩師の死。自分を見つめなおすきっかけにもなった。
――バレーボールを始めたきっかけや思い出を教えてください。
細田 小さい頃はサッカーや野球、空手をやっていましたが、姉と妹がバレーボールをやっていて、バレーボールを始めました。一番バレーボールが楽しくて、10歳の頃からはバレーボール一筋になりました。
一番思い出に残っていることは、大学3年生の春季リーグの入替戦で専修大学に負けたこと。1部昇格を目指そうとチーム改革をした年で、目標としてはこの春季リーグの入替戦で勝ち、1部昇格を目指していました。ですが、フルセットの末敗戦。叶えることができませんでした。この敗戦は今でも強く印象に残っていて、チームに厳しく要求していたにもかかわらず敗戦したことで、「仲間がもう一度、一部昇格するためについてきてくれるのか」という不安も生まれました。ですがこの敗戦があったからこそ、チーム作りの部分であったり、秋季リーグでは絶対に1部に昇格するという気持ちはより一層強くなりました。
――1部昇格を目指した理由と、叶えることができた理由はなんでしょうか。
細田 私は東亜学園高等学校で高校3年間を過ごし、小磯靖紀監督と佐藤俊博コーチ(現監督)に指導してもらいました。私が大学2年生の11月に突然、小磯監督が亡くなってしまった。小磯監督のお葬式に参列したときに、たくさんの人がいて、小磯監督とのお別れを悲しんでいました。その時に、「自分は何をしているんだろう」「今後、何者になっていくんだろう」と強く感じ、まずは1部昇格をするチームを作ろうと思いました。
1部昇格できた理由として大きいのは、仲間たちが素直についてきてくれたこと。仲間に恵まれたことが本当に一番大きいと思います。学生主体のチームで、監督はいないような感じでしたが、監督も好きなようにやらせてくれた。ちゃんとやっているのを認めてくれて、託してくれた監督がいたことも大きかったと思います。
同じベクトルに乗せることが大切で、難しい
――大学バレーからVリーグの世界で学んだことを教えてください。
細田 大学生の頃は学生主体で、自分の“バレー感”や“伝え方”の足りない部分は本を読んだりVリーガーの先輩に聞いたりしていました。気持ちでしかチームを引っ張ることしかできなかったなと思っています。そんな私でしたが、大学4年生の時には将来は日本大学に指導者として戻ろうと思っていました。
卒業してジェイテクトSTINGS愛知にアシスタントコーチとして入団しました。プロの世界では、スキルやデータ、そして気持ちの部分を学びました。データバレーやテクニカルな部分は学んで幅が広がり、そこの部分を知れたからこそ「気持ち・根性」はとても大切だと改めて思えました。それと「勝ちたい」「うまくなりたい」という気持ちに焦点を置くこと。プロの選手でも、同じ方向にベクトルを向けるのは、大変で難しいと感じるときもありました。
――その後日本大学に戻って学生を指導されていますが、そこで感じていることを教えてください。
細田 ジェイテクトSTINGS愛知では私自身3シーズン目でリーグ優勝をし、そのタイミングで退団しました。日大にコーチとして戻ってきて、「学生スポーツはいいな」と改めて感じています。学年ごとに役割があって、やることが変わってくる。環境に慣れる1年生から、やりたいことを探す2年生。3年生になって具体的に行動に移し、4年生でチームを背負う。春季リーグ・東日本インカレ・秋季リーグ・全日本インカレとそれぞれが終わるたびに成長が見れることにとてもやりがいを感じますし、4年生がその一年にかける想いを近くで感じることができるのも嬉しいです。

――細田さん的には選手とスタッフ、どちらがいいですか?
細田 私自身はスタッフになってから選手の方が楽だなと感じます(笑)スタッフは選手にはない責任もあります。考えさせないといけない部分も多い。男子部に所属しているので、ある程度の自由や主体性という部分も必要だと思っています。選手の時は、「俺についてこい」というスタンスでできていたのですが、それはできない。選手たちにやらせないといけません。私と同じ目線の学生を作ることは難しいですし、強制されるのが自分自身嫌いなのでさせたくない。なのでスタッフはとても難しいポジションだなと感じています。

――1部から2部に。チームが落ちた瞬間はどのような気持ちでしたか?
細田 私が大学3年生の時に1部に昇格しましたが、コーチとして5年目で2部に落ちてしまいました。9年ぶりに2部に落ち、昇格も降格も私が関わっています。心境として、負けた瞬間はみんなの顔が浮かびました。同期はもちろん、先輩や後輩。日本大学に関わり、応援してくれていた人などの顔が浮かびました。でもこのチームには私がいる。すぐに1部に戻ろうと強く決意することができました。1部ではチャレンジャー精神がありましたが、2部は勝って当たり前の世界になる。学生たちがどういう反応をしてくるか。プレッシャーよりもワクワクの方が強いです。
バレーボールは仲間探しの旅
――チームを作るうえで大切にしていることを教えてください
細田 勝つための選択をどれだけできるか、選択肢をたくさん持たせることを大切にしています。最低限の基本動作は教えて、やらせる。「これをやれば点を取れる」というパターンをいくつか教え、その中から何をどう選ぶかは本人に決断させます。学生主体という部分の主体性については自由のようで自由ではないと思っていて、勝つための選択をし、チームのために一人一人が動かなければいけません。そんな大学4年間、かけがえのない時期にバレーボールをしていること。お金を費やして何を得られるか。私は仲間を得ることができると思っています。目標のために共に過ごし、頑張ってきた日々は宝になる。“想い”を仲間と体現していくことの経験は、自分が成長していくために必要なことでもあります。そんなかけがえのない大切な仲間も、大学4年間で作っていってほしいです。

――細田さんが伝えたいことはありますか?
細田 私自身、中学生の時に監督が異動となり転校すると選択したことをはじめ、高校・大学においても自分で選択して行動したことには後悔がありませんでした。親が選択をさせてくれたことにも感謝しています。なので自分で選択して決めたことは、最後までやり遂げてほしいと思っています。
そして私は日本大学でコーチをしているので、選手スタッフのみんなには「日大に来てよかった」と思って卒業してもらいたいです。たった一度の人生において、日本大学を選んできてくれたことに感謝の気持ちもありますし、「ありがとう」とちゃんと言葉にして伝えています。バレーボールを通して出会えたことに感謝し、成長を見届けられたら。そして今は1部昇格を目標に共に戦っていきたいと思います。
細田さんが創り上げていきたいチーム像には、これまでの自身の経験や想いが詰め込まれていました。学生時代にしか成し遂げることができない夢を、学生たちと共に歩み、力になっていく。そんな細田さんの優しさが、これからのチーム、そして人としても強くしていくのだと思います。