今年8月、大阪マーヴェラスの宮部愛芽世はフランスの首都パリにいた。その地で開催されていたパリ五輪のバレーボール競技を見るためである。
「ちょうどチームの休暇と被ったのもあったんですよ。他のチームの知り合いからは『有給をもらったの?』と言われたんですけどね、ほんとうに運良く行けたという。でも、急に行ける、となったので飛行機のチケットもすぐに取った分、とんでもない額の出費になってしまいました(笑)」
パリ五輪には3つ上の姉・藍梨(ヴィクトリーナ姫路)が女子日本代表として出場していた。家族で応援に行くつもりはあったが、いざチームのスケジュールと自分の都合が定まったことでいよいよ実際に旅程と向き合う。チケットは選手の家族で用意してもらえ、これが「唯一の親孝行」と踏んでいた姉からは家族の分の旅費を負担するとの打診があった。けれども、妹はかたくなに断っている。
「家族に一員として藍梨への応援はもちろんありました。ですが、自分の経験値として現地でオリンピックを見たい、という気持ちがあったので。自費でいきます、と伝えました」
現地入りしてからは予選ラウンドのブラジル戦(現地8月1日)とケニア戦(同3日)を会場で観戦。残念ながら日本はケニア戦で敗退となったが、宮部はその姿を見届け、試合を戦い終えた直後の姉とも対面できている。
「コートから控え室に戻る動線で、客席から呼び込んだんです。まずは『ありがとう』と一言を、それに『もっと見たかったけどね』みたいな会話をしました。藍梨は“唯一の親孝行”と口にしたんですけど、もちろんそんなことはなくて。家族そろってパリに行けたのもオリンピックでなかったら実現していなかったと思いますから。私自身は、ありがとう、の気持ちでしたね」
日の丸をつけて戦う姉の姿はたとえ五輪の舞台でも、宮部にとっては憧れであり、刺激であり、そして学びの対象であった。
振り返れば2015年に姉がシニア日本代表に選ばれて注目の的となったときから、宮部には“藍梨の妹”という看板がついた。「自身にとって日本代表の姉は自身にとってどんな存在ですか?」という質問は、宮部がキャリアを歩んでいくなかで、お決まりのように投げかけられる。思春期を迎え、そのことに悩んだ時期もあるが、やがて「姉の七光りをうまく利用できればいいと思うんですよ」とたくましい一面をのぞかせたことも。
そもそも中学高校と同じ金蘭会(大阪)で過ごし、練習場所は隣どうし。たとえ練習中であっても、隣のコートで華麗にボールをつなぐ姉や先輩たちの姿に目を奪われることは茶飯事だった。「かっこいい、私もああなりたい、と思える金蘭会の先輩たちの中の一員に藍梨がいる。そんな感覚でした」とは高校1年生時に宮部が口にしていた、姉への距離感だった。
それから歳月が経ち、ともに2022年には姉妹そろって日本代表に登録され、同年の世界選手権にも出場を果たしている。同じステージに立つ中、その目に映る姉の姿とはどのようなものなのか。
「藍梨がミドルブロッカーに転向したので、もう“こんなプレーヤーになりたい”というイメージにはならないんですけどね。それでも私からすれば距離が近いからこそ見えてくる、不器用なりの努力がありました」
日本代表でプレーする姉が努力する姿に倣うのは、その覚悟の強さだった。
「去年のパリ五輪予選や今年のネーションズリーグでも、プレーが安定していましたよね。それにチームにとっては試合のターニングポイントになるような、選手からしたら難しいシチュエーションでコートインする機会が多くて。そのうえで、そのチャンスに懸けていまし」
「本人が言っていたんです。『チャンスは何回もやってくるわけではない。でも、それをものにできるかで、五輪に行けるか行けないか、自分を使ってもらえるかもらえないか、が決まるから』と。その言葉を聞いて、人生を賭けているんだと感じましたし、コートに入ったときには素直に『がんばれ!!』という気持ちでした」
そんな“ワンプレーに懸ける思い”の強さは、距離が近いことでいっそう伝わってくる。
「家だと、のんびりしているんですよ(笑)。でも、コートに入ると違うな!!って。そのギャップを知っているからこそ、本人は真剣なんだと感じますし、その姿勢に自分もついていきたいなと思うんです」
その姉が人生を賭けて到達した舞台を今夏、直接目にした。それは、自分の内なる思いを確かめる機会となった。
「(2022年に)世界選手権に出場して、世界大会という大枠は同じかもしれませんが、会場の盛り上がりや観客の数、それに観戦したブラジル戦では相手の気迫がまるで違いました。『日本がんばれ!!』という気持ちと同じくらいに、『自分もここでプレーしたい』という気持ちになりましたし、目指せる場所なのかなとも。行ってよかったと思えるくらいには実感できましたね」
パリの次は、2028年にロサンゼルス五輪が催される。あと4年後、いや、もう4年後?
「もちろん、まだまだ課題はあるんですけど、どんな立場であれ五輪出場メンバーの12名に入ることにはこだわりたいですから。いい準備をして、ここに立ちたいと素直に思っています」
そのための第一歩として、10月からは国内最高峰のSVリーグへ身を投じる。社会人1年目、ルーキーの宮部にとっては、与えられる出場機会の一つ一つがチャンスとなってくる。姉が示したように。ワンプレーに覚悟を懸ける戦いが、ここから始まる。