左から堀内大志、髙橋優斗、甲斐優斗 [写真]=米虫紀子

 今年も1月11日まで春の高校バレー(全日本バレーボール高等学校選手権大会)が開催され、熱戦の数々が人々の記憶に刻まれた。高校3年間、同じ目標を目指して共にバレーボールに打ち込んだチームメイトとの絆は一生モノ。昨年12月に大学の全日本インカレを取材した際にも、改めてそう感じさせられていた。

 準々決勝で、優勝した早稲田大に敗れた中京大のセッター・髙橋優斗に話を聞いた時のことだ。

「最後、専修と対戦したいという気持ちはめちゃめちゃあったんですけどね……」

 専修大には、日南振徳高時代に同級生だった甲斐優斗や堀内大志、町浦陽介、後輩の森田慶がいたが、対戦するためには互いに決勝まで勝ち上がらなければならなかった。

「でも初めてベスト8までみんな勝ち残った。(準優勝の)国士舘にも同級生と後輩がいるんですけど、全員でとりあえずベスト8まで残りたいなと、絶対に同じ会場で終わりたいなと思っていたので、それができたことはよかったです」

 甲斐と髙橋の名前は同じ「優斗」と書いて、読み方は甲斐は「マサト」で髙橋は「ユウト」。2人が高校3年の時、日南振徳高は初の春高出場を果たし、3回戦では優勝候補だった駿台学園高を破る金星をあげ、ベスト4まで勝ち上がる快進撃を見せた。

[写真]=米虫紀子

 当時、甲斐はミドルブロッカーのポジションに入っていたが、後衛でもリベロと交代せず、どこからでもスパイクを打った。特に駿台学園戦では、高校随一のブロックの上から次々にスパイクを叩き込み、1人で42得点を奪う活躍でチームを勝利に導いた。

 駿台学園の高いブロックに対抗するために、身長2mの甲斐にハイボールを集めたかたちだが、セッターとしては最初は葛藤もあったと髙橋は言う。

「めちゃめちゃ迷いはありました。でもやるうちに、マサトが乗ってるってわかったから、ジレンマはなくなった。マサトのスパイクがずっと決まり続けて、どんどん上がっていったので」

 準々決勝では足利大附高に勝利して準決勝に進出。初めて立ったセンターコートでは鎮西高に敗れたが、強烈な記憶を春高の歴史に刻んだ。

 それから約4年の間に、甲斐は日本代表に選出され、大学3年だった2024年にはパリ五輪に出場。現在はSVリーグの大阪ブルテオンに所属しているが、最後の全日本インカレには何としても出場したいと、開幕直前に大学に合流していた。

 会場で久しぶりに甲斐に会った髙橋は、開口一番、「デカくなった?」と尋ねたという。

「見るからにガタイがよくなったし、高校の時より全然パワーもついていた。マサトは目立つじゃないですか。会場にいると、『あ、甲斐君いる!』みたいな感じで見られる。だから冗談で、『マサトと一緒におったら俺まで見られるやん。離れて離れてー』って言って逃げようとしたら、『おいおい、バカバカ』って引っ張られたんですけど、それがめっちゃ力強くて!持ち上げられるかと思ったぐらい(笑)。『あらららら、こんな力強かったっけー?』とびっくりしました」

 捕獲された髙橋は甲斐と並んで他チームの試合を観ながら、久しぶりに会話を楽しんだ。「性格は変わらないですね。優しいし、一緒にいるとずっと喋っていられて、やっぱり楽しいです」

 大学では一度も対戦はかなわなかった。髙橋は大学卒業後、9人制バレーに進むため、もう甲斐とともにプレーすることはない。

「これからは応援に行きたいですね。大志とか他の同級生もですけど、連絡をとって、ご飯に行ったりもしたいな」

 甲斐に伝えたいメッセージは? と聞くと、こう答えた。

「石川祐希選手を超えるスパイカーになってください」

 同級生の期待と希望も背負い、甲斐はこれからも進化を続ける。

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米虫紀子

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