[写真]=金田慎平

 2024-25 大同生命SVリーグに臨む女子のSAGA久光スプリングス。1994/95シーズンから始まったVリーグ以降では、通算8度のリーグタイトルを獲得しているSAGA久光スプリングスはSVリーグ初代女王の座を目指す。その鍵をにぎる一人が、ミドルブロッカーの荒木彩花だ。

 SVリーグの開幕を前にはメディアや地元のイベントに出演し、スポーツ総合誌ではホームアリーナ「SAGAアリーナ」をバックに同じ佐賀県で活動するバスケットボール・Bリーグの佐賀バルーナーズの選手と共演も果たした。

 今や、チームの“顔”。そう投げかけると、荒木は照れくさそうにほほえんだ。

「周りから知ってもらえている、と感じることも増えました。となると、半端なことはできないな、って。なんだろう…いい自覚が、芽生え始めました」

 聞けば、今年の日本代表活動がスタートしてからは、試合のたびにSNSのフォロワー数が増えた。試合後にスマホを見ると、フォローの通知がずらり。「お、めっちゃ見られている!!」と思わず胸が弾む。

「やっぱりうれしいですよ。数にこだわってはダメなんですけどね(笑)。フォローしていただける方々が増えるのはうれしいですし、ありがたいです。それこそパリ五輪が終わった直後だと、どこにいても『荒木さんですか?』と声をかけてもらうことも多かったです」

 振り返れば、その名前が全国区になったのは中学生の頃。JOCジュニアオリンピック全国都道府県対抗中学大会に2年生時から出場。2年連続で「オリンピック有望選手賞」の個人賞に選ばれた。

 その後、名門・東九州龍谷高校(大分)に進学し、プレーに磨きがかかる。3年生時には春高(全日本バレーボール高等学校選手権大会)で日本一に輝いたほか、女子U20日本代表として参加した第20回女子U20(ジュニア)選手権大会では世界一を味わった。同世代をリードする存在であり続け、やがて久光スプリングス(当時)に高卒新人選手として加わると、入団3季目の2022-23 V.LEAGUEではスパイク賞とブロック賞の個人二冠を獲得。2023年度の女子日本代表では第一線に躍り出た。

 ただ、その年は代表活動が始まってまもなく出場したネーションズリーグで足を負傷しチームを離脱。「絶望しかなかった」と表現するほどに苦しんだのは、翌年に控えるパリ五輪をターゲットに据えていたから。荒木にとって大きな目標だったわけだが、同年秋のパリ五輪予選への出場も絶望的に。クラブの2023―24シーズン開幕もリハビリ中の身で迎えている。

 そんな状況下で励みになったのはチームメートたちの声。「みんなから『頑張ったね』と言っていただきました。それも『早く治して』ではなくて『まずはゆっくり休んで』と。そうして支えてくれる方々がいて、自分も『ネガティブになっても意味がない。目標にむかって再スタートをきろう』と思えたんです」と荒木は感謝する。果たして、夢舞台であるパリ五輪のコートに立った。

 そのパリ五輪では予選ラウンド敗退というチームの結果に加えて、自身の課題を痛感した。

「ネーションズリーグなど、海外のチームと戦う機会はあったのですけど、五輪はどの相手もギアの上げ方がほんとうに違いました。4年に一度の大会に懸ける思いが勝負強さにつながっているのだと」

「その点で私自身は、試合でも手探り状態から入ってしまうんです。その間に、相手に先をいかれてしまった。もっともっと最初から恐れずに挑戦してよかった、というのが反省点ですし、いい気づきになりました。だからこそ、リーグ戦では探りを入れながらではなくて、初っ端から飛ばしていきたいな、という思いでいます」

 1年前の同時期は怪我からの復帰に注力していたが、今は「ほんとうに健康体で過ごせています」とニコリ。それだけにSVリーグでの活躍に、大きな期待が寄せられる。日本代表での経験を踏まえ、今季の荒木彩花はどんな姿を見せてくれるのだろうか?

「昨シーズンはリーグ戦にほとんど出られなかった分、チームにも迷惑をかけました。なので、自分の成績を上げることはもちろんですが、チームに何が還元できるかを考えていきたいなと思っています。」

「その中でも心がけたいのは、チームにフィットするプレー。役割自体は変わりませんが、試合に出させてもらえた2022―23シーズンは自分にできるプレーを精いっぱいやる、自分本位なプレーだったな、って。日本代表では、システムの中で“自分がこう動くから、後ろの選手たちはこう動く”というシステム的な要素を学べたので、周りと連動して、チーム力を高めるプレーができたらなと考えています」

 パリ五輪で知名度は一気に上がった。ならば次は、そのパフォーマンスをさらに一段階上のレベルへ。進化止まらぬ荒木彩花の姿が、SVリーグのコートにある。