V.LEAGUE DIVISION2 MEN(当時)では2020-21シーズンまでの四連覇の立役者となり、2季連続で最高殊勲選手賞(2019-20〜2020-21 V2)に輝いた実績を持つ富士通カワサキレッドスピリッツの栁田百織。2022-23シーズンかぎりで現役を引退したが、今年の秋に電撃復帰を果たした。シーズン開幕直前の決断に至った背景が今、明かされる。
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その時点では、事実上のラストチャンスだと受け止めていたのかもしれない。2023年4月初旬、その週末にV・チャレンジマッチ(V1・V2入替戦)を控え、チームの練習終わりに食事を一緒にしたときのこと。栁田はぼそりと口にした。
「今回の入替戦で勝てなかったら、おそらく自分は引退すると思うんですよね」
結果としてVC長野トライデンツに敗れ、その後、栁田は5月の黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会をもって現役から退いた。

それから1年半、と数字にすれば短くも、いざ目にすると久しく感じる今。再び富士通のユニフォームを着た栁田の姿があった。聞いてみたかった質問をぶつけてみる。
もし入替戦で勝利していたら現役は続けていた?
「続けていました」
即答だった。
あのとき、栁田が抱いていたのは強い覚悟だ。当時のV2では毎シーズンのように上位に君臨し続けてきた富士通。だが、入替戦ではトップカテゴリーの壁に何度もはね返された。また2018-19シーズンから新たに導入されたライセンス制によって、トップカテゴリーのライセンスを保有していない富士通は、入替戦を制したとしても、昇格するかどうかはまた別の話だった。そこでは、母体である会社へライセンス獲得を促すためにも、“トップカテゴリーのチームに勝つだけの力があること”を入替戦での勝利という明確な結果で示す必要があった。
輪を掛けて、2024-25シーズンから始まるSVリーグの創設に伴うリーグ再編によって入替戦の制度は撤廃された。だからこそ、2022-23シーズン最後の入替戦が“ラストチャンス”と捉え、それが叶わなかったときに栁田は引退を決断した。
「最後の最後まで『今シーズンでやめる』と考えながらプレーすることはまったくなかったんです。ただ入替戦で負けたときに、何年後になるかわからないけれどトップカテゴリーのライセンスを取るまで、もう一度ハードワークを長い時間できる自分がリアルに想像できなくて。ここでやりきったな、という気持ちになったんです」
「もし入替戦で勝っていたら、絶対に続けていましたね。トップカテゴリーは目標でしたから。そこで、辞めるという選択肢はなかったです」
それほどまで、入替戦に懸けていたのである。

そうしてユニフォームを脱いだ栁田は、務めていた富士通グループの企業における一人のサラリーマンへ“転身”する。バレーボール選手の肩書きは、もうない。「競技から離れて、時間を割けるようになったのはいいことでした」と言いつつも、栁田は自身の本音と常に向き合うことになる。
「やっぱりね、物足りないんですよ。僕自身はスポーツで体を動かして、疲れたときに一日の中で満足を覚えるタイプなんです。それが精神的にもプラスに働く。前回の現役当時は『バレーボールがストレスの発散だ』なんて考えはいっさいなかったんですけど、いざ離れると、自分の中でうまい具合に発散できる場だったんだと気づかされましたね」
競技そのものから完全に離れたわけではなかった。プライベートではYouTubeの企画で混合バレーに興じてみたり、母校の高校に外部コーチとして週末だけ指導するために足を運ぶことも。同級生がいる社会人のクラブチームで月に一回ほど参加して、試合にも出た。“生涯スポーツ”だからこそ、第一線を退いても何らかのかたちでバレーボールはするつもりでいた。けれども、そのどれをもってしても満たされない。実際にバレーボールに費やしている時間は、現役時代とそれほど大差なくても、だ。
「Vリーグに復帰して、とは考えてなかったです。でも、母校で指導しながらも、空いた時間には自分でやってみたり。『全力でできる!!』とまでは言わないけれど、ある程度のプレーはできるだけのレベルは保っておきたいという思いは持っていたかもしれません」

チームから復帰の打診があったのは今年10月。2024-25シーズンの直前で一度は固辞したものの、栁田はコーチ兼任でVリーグの舞台に戻ることに。「いろいろ悩んだんですけど、シンプルに僕はバレーボールが好きなんで」と自身の本音に従ったまでだった。
10月中旬の天皇杯全日本バレーボール選手権大会の関東ブロックラウンドはベンチアウトも、11月から開幕したVリーグではメンバー入りを果たす。コートに立つと、喜びで胸がいっぱいになった。
「ずっと好きで、引退してからも嫌いになることがまったくなかったですから。こういう舞台に立てること自体のうれしさが強く出ていました」
11月17日のつくばユナイテッドSun GAIA戦では途中出場ながらチーム最多の23得点をマークし、勝利に貢献。その活躍にキャプテンの加藤大雄も「跳んで打てば決まる、みたいな。雰囲気を一気に盛り上げてくれるし…さすがでした」とうなる。復帰後初のPOM(プレーヤー・オブ・ザ・マッチ)に選出され、マイクを手に「栁田百織、帰ってきました!!」と声を張り上げた。

とはいえ栁田自身、「“試合に出ているだけで楽しい”が上回って、自分のプレーが雑になってしまった」と反省の弁。求められるレベルのプレーを発揮することはもちろん、結果を出す、それに試合を重ねるごとに「お客さんを楽しませること」にも意識を働かせるようになってきた。その姿勢自体は、ときに笑いを誘うリアクションや動きを演じてきた、前回の現役生活から変わらないが…。
「パフォーマンスにも、すごくこだわっています。それは引退する前よりも。というのも、今はたくさんの方々がSVリーグを見ているので、目が肥えていると思うんですよ。そうしたお客さんたちの期待値を少なからず超えなければ、会場で直接見ても感動がないですよね。すごい!!とはなかなかならない」
「それをいかに超えるか。プレーなのか、リアクションなのか、はたまたチームワークなのか。SVリーグを戦う選手やチームに対して抱く感情を、Vリーグでも同じようにお客さんへ届けなければと考えています。すでに自分たちのことを知ってくれている方々から『百織くんがいると富士通らしい』という声をいただけて、とても嬉しいし、戻ってきてよかったと思うんです。同時に、『富士通という、こんなチームがあるんだ』ともっともっと知ってもらいたいとも。バレーボールのリーグを見にきてくれた新しい方々のハートをつかむようなプレーヤーになりたいですね」

一度は第一線を退いた。退くだけの理由もあった。だが、そこに未練がなかったと言えば、嘘になる。
「離れてみて、大事さに気づくんですよ。引退してから、いろんなところでバレーボールに触れる機会はありましたが、どれも熱量が入りきらない。プレーヤーとして引退を決めたのに、そこに対して未練を感じてしまっていました。『またやりたい』というよりも『もっとできることはあったんだな』と思うことが、すごく出てくるんですよ」
「例えば富士通の体育館で練習ができないのであれば、高校や大学に足を運んで環境を作る努力をすればよかったな、とか。実際に今、24時間利用のできるジムと契約したんです。仕事が終わって会社から帰ってきてから、日が変わる時間帯でもトレーニングしに行くのを、もう毎日のように。そうすると、チームの練習が平日に2回しかなくても、そこではバレーボールのメニューだけに集中できるんですよね。トレーニングは済ませているから、体も動くし。それこそ『なんで現役時代にやってこなかったんだろう』『もっとできたじゃないか、自分』って後悔しましたから」
「どうしても以前は、仕事がある、とかチームの体制がこうだから、と周りに理由をつくっていましたが、ならば自分自身で環境をつくればいいんだと。今は以前よりも120%できることが増えましたし、どれだけやっても物足りないと思えるんです。周りからすれば32歳という年齢もあって『今さら成長できない』『もう歳だよね』と感じるかもしれませんが、僕自身はそこにネガティブな気持ちはなくて。さらにステップアップできるし、そうありたいと願っています。自分の好きなバレーボールでそんな挑戦ができるのが、とても楽しいです」
そんな言葉を聞いて、ついつい口に出た。バレーボール選手・栁田百織はまだまだこれからやね。
「まだまだこれからですよ!! さすがに週末の2日目の疲労は抜けなくなりましたけどね(笑)。そこは30歳を超えているので、しようがない。しっかりケアしながら、戦っていきますよ」
自身2度目のVリーガー人生は今、これまでと違った楽しさに満ちあふれている。


