初の大舞台、下川諒のトスワークは圧巻だった。
“堂々と”でも“大胆”でも収まらない。とにかく見ていて楽しく、「そこを使うか」とか「ここで使うか」と1本1本のセレクトに驚愕させられる。
しかも親善試合ではなくその舞台はネーションズリーグで、相手はポーランド。パリ五輪をベストとするならば新たな顔ぶれが揃う若手や代表ではまだ経験の少ない選手が主体ではあったが、イタリア、トルコと並び世界屈指と謳われるポーランドリーグのレベルは周知の通り。熱狂と期待を背負って戦う選手たちを前にしても、堂々たるトスワークを見せた下川の活躍は、1対3で敗れはしたが、第4セットは37対39と大接戦、大熱戦を繰り広げた。これからに向けた新たな希望と期待を抱かせるには十分なものだった。

それから2週間が過ぎた7月4日、下川は岩手県紫波町のオガールアリーナにいた。ネーションズリーグを戦うA代表ではなく、B代表のセッターとしてオーストラリアとの練習試合、翌日からの親善試合に向け合宿を重ねていた。
場所や相手は変わっても、ミドルを中心にしたトスワークは健在。前述のネーションズリーグ、ポーランド戦に話を向けると、「実は…」と苦笑いを浮かべた。
「めちゃくちゃ緊張していました(笑)。もともと結構緊張しいなんで、あの試合も最初はほんとに緊張して。周りからは『全然緊張していないやん』って言われたんですけど、真逆(笑)。だけど、試合へ出るからには評価されたいですし、自分はこういうプレーヤーだ、と見せたかったので、それができていたならよかったです」

今はまさにアピールの場。日本代表として戦う未来があるなど、学生時代を終える頃には考えもしなかった。
鹿児島県出身、兄の影響で小学生からバレーボールを始めた下川は、子供の頃から「Vリーグでプレーしたい」と夢を描いてきた。1つの転機は樟南高を卒業後、大学をどこに進むかと考えた時、亜細亜大を選んだことだ。
「地元に近い広島の大学へ進むか、関東に出るか。迷っていたんです。でも関東のほうがいろんなVリーグのチーム関係者が見に来ると聞いたので、だったら関東へ行こうと決めました」
亜細亜大は関東二部リーグだが、下川が言うように、現在のSVリーグやVリーグ関係者も足を運ぶ機会は多い。卒業時までにトップリーグのチームから誘いを受けることはなかったが、自ら大分三好ヴァイセアドラーのトライアウトを受けたり、何かチャンスがないか、と積極的に求めてきた。その過程で大同特殊綱(現・大同特殊綱知多レッドスター)へつながり、入社を考えた。企業を母体とし、選手は社員として働く。生活は保証されていたが、一度入れば移籍はしづらい。
安定か、夢か。考えた時、夢を諦めたくない気持ちも消せずにいた。そんな時、同じV2でもクラブチームである兵庫デルフィーノは、入団後もステップアップを求めて移籍する希望があるならそれも後押しする、と聞いた。
それならば、やはりチャレンジしたい。考えた末に下川は兵庫へ。クラブには事前に「チャンスがあるなら上でやりたい」と意思を伝え、クラブ側も快く受け入れてくれた。
ただし、問題が1つ。
「最初はスポンサーさんのところで働いていたんです。コールセンター業務だったんですけど、僕、すごい人見知りなのでどうしても合わなくて(笑)。無理だ、と思ってそのお仕事はやめて、警備員のバイトで生活費を稼いでいました」
とはいえバレーボールに目を向ければ、下川の望み通りにつながっていく。VC長野のトライアウトに合格し、夢だったトップカテゴリーへの移籍。直後からメインセッターとして経験を重ね、2022/23シーズンはV1での試合に出場する機会を得た。得意とするセンター線を軸としたトスワークでセッターとしての特徴を発揮、23年には日本代表登録選手37名に選出された。
国内での親善試合にとどまらず、海外遠征も経験。広い世界を知り、さらにレベルアップを図るべく、24/25シーズンはサントリーサンバーズ大阪へ移籍。大宅真樹という不動の存在を前に、出場機会は限られたが、優勝を目標とするチームの中で練習を重ね、技術と意識、セッターとしての考え方。多くのものを学び、得て、今年度の日本代表、ネーションズリーグ出場にもつながった。

夢を現実にするために、自ら行動した。コールセンターの仕事すら「無理だ」と辞める一面とはまるで別人のような大胆さ。まさしくコートで見せるトスワークともリンクする。「まだ精度が低い」と下川は課題を口にするが、周りからの「緊張しているようには見えない」「練習と試合では別人のように試合で度胸を発揮するのがすごい」と称賛を伝えると、照れくさそうに笑う。
「(代表に選出された)最初の頃は、消極的な部分が多かったし、A代表は自分にとってまだまだ先だと思っていたんです。でも、少ないチャンスの中で自分が(コートへ)入った時に、ミスしてもいいから自分がしたいことをする、という気持ちを持てるようになったので、少しずつ、チャレンジできるようになった。今は、もっとよくなるじゃないか、もっとできることがあるんじゃないか、と考えることが多くて、バレー自体がすごく楽しい。ここから、今、上(A代表)でやっているセッターの人たちにもいい刺激を与えられるぐらい成長したいです」
岩手でのオーストラリア代表との試合でも、さまざまな選手とコートに立ち、それぞれのスパイカーの特徴を引き出しながらも、パスが離れた位置からミドルを使うなど、ワクワクするようなプレーも見せた。
まだまだ、もっとうまくなる――。
バレーボールの楽しさを存分に味わいながら、下川の進化も続く。