2日、バレーボール男子日本代表のロラン・ティリ新監督の就任内定記者会見が行われた。
2024年に行われたパリオリンピック(パリ五輪)ではベスト8という結果に終わり、メダル獲得はならなかった日本代表を、五輪の表彰台にあげるべく選ばれたティリ監督。会見が行われる前日の1日に61歳の誕生日を迎えたティリ監督だが、今回はその人物像や経歴について解説をしていく。
ティリ監督の人柄と家族構成
ティリ監督は一言で言うならばフランクで穏やかな人物と言えるだろう。監督という立場でも選手とは家族のように接することを信条としており、実際に8年間指揮した男子フランス代表は「世界一仲が良くて家族のようなチーム」だと、主力のイアルガン・ヌガペトやジェニア・グレベニコフが母国メディアの過去のインタビューで語っていた。
実はティリ監督の父・ガイさんは元フランス代表のバレーボール選手。ティリ監督自身もフランス代表のバレーボール選手として活躍したが、ティリ監督の兄・パトリスさんも元水球フランス代表、さらに妻のキャロラインさんも元女子オランダ代表のバレーボール選手だ。
そして、ティリ監督の次男のケビンもバレーボールのフランス代表として東京五輪では親子で金メダルを獲得。ケビンだけでなく長男のキムと三男のキリアンもプロのバスケットボール選手という超スポーツ一家だ。
ティリ監督の選手時代の経歴
ティリ監督は選手としても一流のバレーボールプレイヤーだった。
アウトサイドヒッターとして1980年にフランスのカンヌでプロキャリアをスタートさせると、18歳の時にはCEVカップとフランスリーグ優勝に貢献。1982年にはフランス代表に初選出される。
フランス代表では1982年から1995年までプレーし、通算407試合に出場。1988年のソウル五輪ではベスト8進出に貢献し、1991年から1992年にかけては代表のキャプテンも務めた。
クラブキャリアではイタリアでもプレーし、最後はプロキャリアをスタートさせたカンヌで2001年に選手としてのキャリアを終えた。
ちなみに、ビーチバレーボールにも挑戦し、FIVB(国際バレーボール連盟)のワールドツアーに出場した経験もある。
ティリ監督の実績
現役を引退したティリ監督はすぐにカンヌの監督に就任。2002年から2012年までの10年間クラブを率いて、2005年にはフランスリーグ、2007年にはクープ・ド・フランスのタイトルをクラブにもたらした。
また2005年から2006年まではチェコ男子代表の監督も務め、ナショナルチームの監督も経験すると、2012年には前男子日本代表監督のフィリップ・ブラン氏から引き継ぐ形でフランス代表の監督に就任した。
2015年のFIVBワールドリーグで優勝すると、2016年のリオ五輪では3大会ぶりの出場に導いた。リオ五輪では予選ラウンド敗退となったものの、2021年の東京五輪で金メダルを獲得した。
なお、2020年からはパナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)の監督も兼任。V.LEAGUEでは優勝こそ逃しているものの、就任してからの4シーズンすべてで3位以上の成績を残したほか、昨季の天皇杯ではタイトルを獲得している。
ティリ監督のもとで東京五輪金メダルを獲得したフランス代表は、その勝負強さを発揮しパリ五輪でも金メダルを獲得した。日本代表がパリ五輪で掴みきれなかったあと一点を奪う勝負強さを与えるのはティリ監督に他ならないかもしれない。