オリンピックのメダルを目指して。公益財団法人日本バレーボール協会は12月2日に会見を開き、男子日本代表の新監督に現在はSVリーグ男子の大阪ブルテオンを指揮するロラン・ティリ氏が内定したことを発表した。ティリ氏といえば、母国フランスの男子代表チームを率いて2021年の東京2020五輪で金メダルを手にした実績を持つ。
以降は代表監督を退き、クラブチームの指揮に専念していたわけだが、一方で男子フランス代表は自国開催となった今年のパリ五輪で見事に金メダルを獲得。男子ではソビエト連邦(当時/1964年東京大会、1968年メキシコ大会)、アメリカ(1984年ロサンゼルス大会、1988年ソウル大会)に続く史上3チーム目のオリンピック連覇を果たした。選手それぞれが備えるハイレベルな“個の力”と、五輪では2大会連続でMVPに輝いたエースのイアルバン・ヌガペトのトリックプレーに代表されるような見るものを沸かせる“豊かな発想力”、そして、それらが巧みに組み合わることでボールが落ちない「まさにこれがバレーボールだ」とうならせる“組織力”が、その強さをかたちづくっている。
今や男子フランス代表は、名実ともに世界ナンバーワンというわけだ。対する日本は2016年リオデジャネイロ五輪の出場を逃して以降、石川祐希の本格化をなぞるように右肩上がりの成長曲線を描き、ついにはパリ五輪を前にFIVB(国際バレーボール連盟)ランキングは2位にまで上り詰めた。そのパリ五輪ではいよいよ金メダルを…!? 選手たちもファンも、バレーボール関係者もそう声をあげたが、結果として準々決勝でイタリアとの接戦の末に敗れる。それも第3セット、最終第5セットでマッチポイントに到達しながらも、そこからひっくり返されるという展開だった。
世界の頂点に立つフランスと、いまだ道半ばの日本。その差はどこにあるのか。ティリ氏にぶつけてみた。すると――
「経験。経験の差に尽きると思います」
開口一番に、フランス語で“経験”と二度繰り返す。続けて、こう話した。
「東京2020五輪で勝利を収めることができた(金メダルを手にした)わけですが、その後に行われた国際大会でもフランスは結果を残してきました。そこでロシア、スロベニア、イタリア、ドイツといった強豪国との戦いを乗り越えた経験が、パリ五輪でのいちばんの勝因ではないでしょうか」
パリ五輪自体は開催国枠での出場が決まっていたため、フランス代表は予選が免除され、出場権獲得に大きく関わるFIVBランキングも気にする必要がなかったのは確かだ。極端な言い方をすれば、参加する大会での結果よりも内容にフォーカスしてチームの底上げや強化を図ることが可能だったというわけ。それでもネーションズリーグでは2022年と2024年の2大会で優勝を遂げている。
ただ、成功体験だけが彼らを強くしたのではないとティリ氏は言う。
「勝利だけではなく、ぎりぎりのところまで戦って惜しくも勝利を逃してしまった、例えばパリ五輪で日本が味わったようなショックと同じようなものですね。そういった苦い経験を糧とするのは大事なことです。東京2020大会に続くパリ大会での勝利は、そうした経験を経たうえで初めて手にした成功なのだと感じています」
実際にフランスは、2022年の世界選手権において結果的にその大会を制するイタリアに準々決勝でフルセットの末に敗れている。また、欧州選手権でも2023年大会の3位決定戦では、こちらもフルセットでスロベニアに屈してメダルを逃した。そうした黒星もまた、チームを強くしたのだと想像できよう。
とはいえ、これはティリ氏が退任して以降のこと。興味深かったのは、自身が指揮していた当時のことだ。
「東京2020大会で、フランスは予選ラウンドで苦しい戦いを強いられました。そこでへとへとになって決勝トーナメントに進んだわけですが、そのときに初めて肩の力が抜けていた。そうして本来の力を発揮できるようになりました」
確かに、このときのフランスは予選ラウンドで2勝3敗、その黒星の中には2つのフルセット負けも含まれるなど、薄氷の決勝トーナメント進出だった。だが、準々決勝で優勝候補筆頭のポーランドをフルセットの末に撃破すると一気に波に乗り、決勝では、巧みな選手起用を繰り出したROC(ロシアオリンピック委員会)にフルセットに持ち込まれたものの、最後は流れをもぎとり初の戴冠を果たした。
「大事な場面で肩の力を抜いて、のびのびとプレーができていました。ただ、五輪はやはり特別な舞台ですから、大きな重圧の中で戦う必要があります。その点に関して言えば、今回のパリ五輪で日本チームは残念ながら各選手が、のびのびと本来のプレーを繰り出す段階にまでなれなかったのではないでしょうか」
日本とて東京2020五輪以降、2022年の世界選手権では決勝トーナメント一回戦(ベスト16ランド)でフランスを相手にマッチポイントまで追い詰めた。翌2023年のネーションズリーグでは、長らく世界のトップに君臨していたブラジルから30年ぶりとなる勝利をあげ、最終的にチーム史上初となる大会銅メダルを獲得。その後、同年のアジア選手権で優勝に輝き、さらにパリ五輪予選も早々に黒星を喫して窮地に立たされるも、勝利を重ねて自力での出場権獲得を達成した。国際舞台における歓喜も苦しみを経て成長し続けた日本は、その集大成をパリ五輪にぶつけたわけである。だが、道半ばで夢は敗れた。
これでもメダルには届かないのか。そう思わずにいられなかったが、かつてティリ氏が率いた頃のフランスも似た境遇だったことに気づく。
ティリ氏が母国の代表監督に就任したのは2012年から。ヌガペトやセッターのパンジャマン・トニウッティ、リベロのジェニア・グルベニコフの台頭もあって、2015年には現在のネーションズリーグの前身であるワールドリーグで初優勝、同年には欧州選手権を制している。2016年リオデジャネイロ五輪の予選に該当する2015年のワールドカップにはFIVBランキングが及ばず出場できなかったものの、最終的に世界最終予選で切符を手にした。
国際大会のメダリストという強豪の看板を引っ提げて、リオデジャネイロの地に乗り込んだわけだが…。結果は予選ラウンドで2勝3敗と負け越し、グループ内で6チーム中5位。予選ラウンドで敗退し、最終成績は9位と散々な結果で大会を終えている。その苦い思い出もまた、東京2020五輪につながったと言えるだろう。
だからこそ、ティリ氏が今回の就任内定会見で発した「経験」の一言にはとてつもない説得力が宿っていた。2016年の記憶を振り返り、ティリ氏は「パリ五輪での日本と同じで、思うように体が動かず大事な試合を落とした経験があります」と語ったものだ。
その監督が、2028年のロサンゼルス五輪へ船出をきった男子日本代表を指揮する。
「すでに高い技術を備え、好成績を残している日本に、私の五輪での監督経験を掛け合わせることで新しい力を生み出し、国際大会での表彰台を目指してまいります」
そう所信表明を述べたティリ氏。フランスがなぞってきた栄光への軌跡を思えば、否応がなしにも4年後への期待はふくらむのである。