優勝すれば2028年ロサンゼルス五輪の出場権を得られるアジア選手権。8月30日まで中国・天津で開催された女子大会で、その切符を掴んだのは、準決勝で日本、決勝で中国という世界ランキング上位の2カ国を破ったタイだった。これまであと一歩のところで五輪出場を逃してきたタイにとっては、まさに悲願の五輪初出場。しかも、タイでは団体球技で五輪に出場すること自体が初という快挙だった。
決勝では1万人近い観客が詰めかけた完全アウェイの空気の中、臆することなく躍動し、フルセットの末、勝利を勝ち取った。勝利の瞬間、ベンチからコートになだれ込むスタッフ陣の中に、1人の日本人がいた。昨年は日本代表でアナリストを務めた吉田伸コーチである。
「このチームで、このスタッフと選手みんなで一緒にオリンピック行きを決められたことが本当に嬉しいです」
表彰式後のミックスゾーンで日本人記者に囲まれ、そう話す吉田に、タイの選手たちが「シン〜!」「おめでとう(日本語)」と陽気に声をかけながら通り過ぎていく。すっかりチームに溶け込んでいる様子がわかる。
吉田は異色の経歴の持ち主だ。早稲田大学ではアナリストを務め、卒業後は製薬会社に就職した。しかし2年後、KUROBEアクアフェアリーズのアナリストとして、再びバレーの世界に。2023年広州アジア大会では日本代表Bチームのアナリストを務め、そこでタイ代表のアナリストと親しくなったことをきっかけに、2024年はタイ代表のアナリストに。その後ドイツやフランスでも仕事をし、昨年、日本代表のアナリストに就任した。
日本代表で1シーズン務めた後、契約が更新されなかったため、新たな仕事場を求めていたところ、アシスタントコーチにと誘ってくれたのがタイ代表の監督と協会だったという。
「自分から望んで日本代表を離れたわけではありません。そういった中で、真っ先に声をかけてくれたのがタイ代表の監督と協会だったので、その想いに応えたいと思って必死にやってきました」
タイ代表でコーチとして求められた役割の一つが、ブロックディフェンスのシステムの構築だった。
タイ代表は日本のSVリーグでプレーする選手も多く、守備力はもともと高いが、今大会は非常にはまった。準決勝の日本戦では、それまでの試合で非常に決定率の高かったオポジット・和田由紀子に対するブロックディフェンスが機能するなど、堅く粘り強い守備でボールを落とさず、日本を追い詰めていった。
とはいえシステムにがんじがらめにするのではなく、選手と意見交換をしながら戦術を構築していったと明かす。
「特に準決勝は、戦術的な部分を、我々スタッフから一方的に伝えるんじゃなく、細かくみんなで話し合いました。日本の過去のデータを見るんじゃなく、『おそらくタイに対してはこうしてくるだろうから、こうしよう』というところを、選手と会話したり、選手同士でも会話して、しっかりコミュニケーションを取ってできたことが、コート上で選手が力を発揮することに繋がったと思います」
決勝の中国戦は先に2セットを奪われる苦しい展開だったが、追い詰められた雰囲気はなかったと振り返る。
「セットを落としてはいるんですけど、そもそも、タイの選手たちは結果だけを追いすぎないというか。タイの選手のいいところとして、過去のことや未来のことを考えすぎずに、今この瞬間に集中して、それを楽しむというところがあるので、ミスが起きてもすぐに切り替えて、次に繋げられる。そこは国民性と文化かなと思いますね。コート外の私生活の部分でも、どちらかというとプラス思考でポジティブで、みんな常に笑顔。多少何かが起きても、『そんなちっちゃいことは気にしない』というところがあって、それが仕事であるバレーボールにも繋がっているのかなと、個人的には思います」
来年以降の代表期間の去就については決まっていないというが、今季のクラブシーズンはイタリア・セリエAのブスト・アルシーツィオでアシスタントコーチを務める。
「一番の目的は、コーチとしてだけでなく、人としてももっと成長することです。そのために新しい環境にチャレンジしたいし、個人的にはイタリアが世界最高峰レベルのプロリーグの一つかなと思っているので、その厳しい環境に身を置いて、成長したい。挑戦したい。自分に足りないものを見つけたい。それを今後のコーチング生活や、自分の人生に繋げていきたいと思っています」
どの場所にいても、そこに適応し、自身の役割に真摯に向き合う仕事人。今季ブスト・アルシーツィオに所属する3人の日本人選手、関菜々巳、和田、秋本美空にとっても、頼もしい存在になるに違いない。




