地獄のような合宿を重ねても、日本が勝てない時代があった。サウスポーエースが、怪我をおしていくら跳んでも、世界との差が縮まらない。それでも清水邦広が歯を食いしばり、抗い続けたからこそ今の日本男子バレー界がある。
日本代表のオポジットとして2008年北京、2021年東京の両五輪に出場し、パナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)を幾度も優勝に導いた清水が、ついに今季限りで現役を退く。大阪ブルテオンがファイナル進出を決めた5月10日のセミファイナル後、引退セレモニーと引退会見が行われた。
北京五輪で、日本男子バレーは16年ぶりに五輪出場を果たし、東海大学4年だった清水は最年少でメンバー入りした。だがそこから日本と世界の差は再び開いていく。
2012年のロンドン五輪世界最終予選で出場権を逃した時、エースの清水は気丈に、ミックスゾーンで記者の質問がなくなる最後まで真摯に答え続けた。だがミックスゾーンを通り過ぎた直後、嗚咽を漏らして泣き崩れた。
勝ちたい、自分が日本を強くしたい、そのためなら何でもやる。その思いはあれど、努力の方向がわからなかった時代。あれだけ苦しい練習をしても報われないのかと、見ていても歯痒かった。だがそこで清水や、清水の盟友である福澤達哉といった選手たちが、日本男子バレーをギリギリのところで支えていたからこそ新しい時代に繋ぐことができた。
2014年には石川祐希、柳田将洋など、のちに日本代表を変える若手選手たちが代表デビュー。ひたすら国内で合宿を行なっていたそれまでの強化方法を変え、当時の南部正司監督が積極的に海外遠征を取り入れたことも転機となった。2016年のリオデジャネイロ五輪も出場は叶わなかったが、清水は「あの時は『日本全然ダメじゃん』という思いはなく、このままやっていけば必ず結果が出せるんじゃないかと思った」と光を見出していた。

だが31歳だった2018年2月、清水は選手生命を脅かす大怪我に見舞われる。右膝の前十字靭帯断裂、内側靭帯断裂、半月板損傷、軟骨損傷で全治12ヶ月と診断された。
日本代表は中垣内祐一監督、フィリップ・ブランコーチの体制のもと、石川がエースとなり、オポジットには当時18歳だった西田有志も加わっていた。だが消え去るにはまだ早い。清水は約1年に及ぶリハビリに耐え、執念の復帰を果たし、東京五輪にたどり着いた。
痛みに強いがゆえに無茶をし過ぎるのは玉にきずだが、どんな苦境でも諦めない不屈の人。
東京五輪を最後に代表は引退したが、現役は続行した。当時、こう語っていた。
「バレーボールはいつまででも続けたい。バレーが大好きなので。でも膝次第ですね。『もうスパイク決まらんな。これじゃあもう、バレーをやってても自分の価値ないな』と思ったら、やめると思います」

それ以降、毎年右膝の手術を繰り返し、最先端の治療も試しながらプレーを続けてきた。膝はどう?と声をかけるたびに、「ダメっすわー」と答えたが、試合になれば、年々増えていく技を駆使して得点を決めた。
今季の開幕前も、「ダメっすわー」と苦笑していた。それでもきっと今季も……。そう期待し、願っていたが、ついにその時が来てしまった。
「今年に入ってから膝の状態がすごく悪くて。スパイクを2、3ヶ月打てなくて、パフォーマンスを出すのが難しい状態になっていたので、引退を決断しました」
今年8月に40歳を迎える。度重なる怪我を克服し、よくぞここまで。もっと頑張れとはとても言えない。最後にもう一度、コートに復帰して終わって欲しいという勝手な願いもあったが、セミファイナルの試合前、足を引き摺りながら駆け足で入場する清水の姿を目の当たりにした時、心の底から「お疲れさま」の思いが湧いた。
チームメイトに愛され、バレー界や後輩たちに数えきれないものを残してきた。
愛知学院大学3年時に日本代表で清水と出会い、パナソニック、大阪Bで共にプレーしてきたミドルブロッカーの山内晶大は、「清水さんから教わったものがたくさんあります。怒られたことももちろんありますし、たくさん支えてもらい、フォローしてもらいました。代表に入りたての頃は結構怒られていましたね」と苦笑する。
高校からバレーを始めた山内は、バレー歴わずか5年ほどで日本代表に抜擢され、当時はまるで別世界に放り込まれたようなもの。だが清水は、バレー歴が浅いからといって容赦することはなかったと山内は言う。
「そこで『いいよいいよ』ってされていたら、『いいよいいよ』のプレーになっていたと思う。そこで怒ってもらったから、『あ、このままじゃダメなんだ』と自分にも向上心というか、火がついたので、感謝しています。日の丸をつけるからには、経験が浅いとか関係なく、1人の代表選手としての責任や厳しさ、どうあるべきかというのを教えてもらいました」
ジェイテクトSTINGS愛知のミドルブロッカー髙橋健太郎も、「清水さん、昔は怖かった」と笑う。それでも髙橋は懐に飛び込んでいった。
「尊敬もあったし、憧れもあったし、僕もオポジットをやっていたこともあって、彼のスター性にものすごく惹かれていたから。最初は怖かったんですけど、僕、懐に入るのは上手なので(笑)」
その髙橋でも、超がつく人見知りの清水は簡単には落とせなかった。
「食事会やお酒の席でめちゃくちゃ仲良くなったと思っても、次の日にはゼロに戻ってる(笑)。だからそれを本当に20回、30回繰り返さないと、(会った時に)『おう』と言ってもらえない。それぐらいシャイなんです。今ではお友達みたいな感じになってますけど」
だが対戦する際には“口撃”でも厄介な相手だったと髙橋は明かす。
「昔、僕が東レで藤井(直伸)さんとやっていた時、クイックの種類がAクイックしかなかったし、しかもAパスの時しか打たなかったので、『Aパス、Aクイックだけやぞ!あとはなーい!』って、全部言われるんですよ。あと僕がサーブ打つ時に『チャンスサーブ!』って。大人気ない(笑)。でもそういう言葉攻撃のおかげで、メンタルが鍛えられたし、言い返せる自分もできた。今こうやって堂々とプレーできるのは清水さんのおかげです。本当にお疲れ様でした、尊敬しています、と伝えたいです」
そして、日本代表と大阪Bでオポジットの座を引き継いだ西田は、勝負強いサーブでファイナル進出に貢献した試合後、清水への思いをこう語った。

「いまだに自分が清水さんを超えられてるとは思っていないですし、自分には超えられない選手だろうなと思っています。18シーズン、パナソニック一筋で戦っているというところの、気持ちだったり、選手としての軸だったり、尊敬する部分しかないので。
僕が代表に入った時(2018年)は、『清水さんが大怪我をしたから西田が入った』『西田じゃどうにもできないだろう』といった世間の声がいっぱいありましたけど、でも清水さんは『そんなことないよ』というような話をしてくれた。あの大怪我から復帰して、今に至るまで、これだけやっている選手はどこの国を探してもいないと思う。ましてやオポジットというポジションで、軸足を怪我して……。やはりすごいものを持っている方だなと改めて思うし、人間性の部分でもまだまだ全然超えられない。
だからこそ今日(セミファイナルで)負けるわけにいかなかった。清水さんのバレー人生を、ここで終わらすわけにはいかないので。(ファイナルに)最後、いい形で臨むのがこのチームの使命だと思いますし、僕のやらないといけない部分。それが清水さんに対する恩返しかなと思っています」
清々しい表情で引退会見に臨んだ清水も、「VリーグでもSVリーグでも優勝から遠ざかっているので、最後に優勝を飾れるように、みんなとチーム一丸で戦っていきたい」とファイナルに想いを馳せた。
レジェンドの現役最後の1ページには、果たしてどんな記憶が刻まれるのかーー。




