[写真]=坂口功将

 2年の歳月に周囲も、そして本人も、成長を実感せずにはいられなかった。プロビーチバレーボール選手としてインドアとの二刀流を実現させている水町泰杜(トヨタ自動車/ウルフドッグス名古屋)は今年7月下旬、スロベニアの首都リュブリャナにいた。現地のクラブチーム「BVCリュードゥス・リュブリャナ」(以下、リュードュス)で1週間近くの合宿を行うためである。

 そこは2024年春に、早稲田大学を卒業した水町がトヨタ自動車ビーチバレーボール部に加入し、本格的に競技活動を始めてまもない時期に訪れた場所だった。その際は1ヵ月間ほど滞在したわけだが、遠征が始まった当初は複雑な心境だったと本人は明かす。無理もない。今でこそ結果も伴い堂々と第一線に立っているが、当時はそれこそ“ど”がつくほどの素人だったからだ。

 「それほど乗り気じゃない…という表現は的確ではないかもしれませんが、ほんとうに初心者でしたからね。ビーチバレーボールの練習ドリルやゲームでの戦術、そもそもルールも知らない状態だっただけに、上手な方々とやりたくないと言いますか…引け目を感じていました。

 それに周りの選手は外国人ばかり。渡航前の1、2ヵ月は英単語を覚えるくらいの勉強はしましたが、いざ現地では英語はおろか基本的に使われているのはスロベニア語だったので(笑)、大変でした」

[写真]=坂口功将

 日本国内で、ましてやインドアならプレーする場所がどこであろうと、苦労せずに順応できるだろう。しかし、ここでは見事なまでに完全アウェーだ。

 「競技自体が違うし、何からすれば、何をしたらいいかがわからない。苦しかったとまでは言いませんが、正直やりづらさはありました」

 バレーボールという根幹は変わらないとはいえ、競技を始めたばかりの、初心に帰るような感覚を覚えたのがこのときだった。そうしてリュードュスでは、クラブに所属するビーチバレーボール選手と一緒に練習に励んだ。

 「いつも大体5、6人が練習に参加するので、ペアをぐるぐる回しながらプレーしていました。練習はもう、見よう見まねです。周りの選手に合わせて動いていたら、なんとなくメニューの意図はつかめますし、ルールも把握できてくるので、とりあえず練習をこなすことはできます。ただ、戦術や練習内容どうこうではなく、とにかくビーチバレーボールをやっているだけ、でしたね」

 砂の上で懸命にボールを追いかけ、ひらすら汗を流す。そんな水町を迎え入れた現地スロベニアの面々の一人がデビッド・レンコ。当時28歳、フィジオセラピスト(いわゆる理学療法士)とビーチバレーボール選手の二足のわらじを履いており、リュードュスに所属していた。いざ顔を合わせると-。

 「おや? なんとも小さな少年だな」

 デビッド氏は思わず心の中でそうつぶやいたという。日本からやってきた「タイト,ミズマチ」なる当時22歳の若者は、聞くにどうやらこれから本格的にビーチバレーボール選手として活動するらしい。身長は180㎝と少し。世界基準でいえば、“little guy(リトル・ガイ=小さな少年)”だ。

 しかし、それは実際にプレー姿を見たことがなかったから。確かにビーチバレーボールの技術はない。けれどもアタックの腕の振りは速く、なおかつとんでもなく跳び上がった。

 「『なんてこった。さっきの感想は取り消さなければ』と思いましたよ。インドアでプレーする彼の姿を私たちも知らなかったわけですが、砂の上でもポテンシャルの高さは感じられたものです」(デビッド氏)

[写真]=坂口功将

 そんな初対面からスタートした2人は、やがて練習を重ねていくなかで関係性を深めていく。それは水町にとって心温まる時間だった。

 「ほぼ毎日、練習が終われば、メンバーたちとコーヒーやビールを飲むんです。そこではスロベニア語なので、何をしゃべっているかわからない空間に僕はとりあえずいるだけ。でも、そんなアウェーな空気を読んでくれたのか、デビッドさんや夫人のティナさんが話しかけてくれて、会話の輪に入れてくれました」

 ときにはホームパーティーに招かれたこともあったそう。夫婦そろって面倒を見てくれたことへの水町の感謝は尽きない。そうして今夏、再会を果たし(夫婦の間には小さなお子さんも)、練習を見にきていたティナ夫人が、近況を伝える水町へ母親のようなまなざしを送る姿が見られたもの。同時に、デビッド氏も水町の成長を喜んでいた。

 「2年前と今とでは全然違って見えます。それに冬の時期は彼のプレーを映像で見ていましたが、インドアでも素晴らしいシーズンを送っているようですね。

 そもそもスイングはとても速かったですし、スマートにジャンプしていましたが、さらにゲーム中は何度もジャンプトスを繰り出してくるでしょう? ブロックするのも、守るのもいっそう難しくなりました。彼の限界がどこにあるか、想像もつきません。おそらく、大空ですかね(笑)」

 デビッド氏は2025年にスロベニアの全国大会を制し、国内王者に輝いた実績の持ち主。そして水町も今年8月に「ビーチバレージャパン 第40回全日本ビーチバレーボル選手権大会 男子」で初優勝を飾り、ついに砂の上でも日本一の勲章を手にしている。2年の歳月を経て、スロベニアと日本の王者が再会した夏。水町が2年前とは異なる感情を覚えたのは言うまでもない。

 「前回は慣れるだけで精一杯でしたが、今回はちゃんとビーチバレーボールをしにきた、と実感しています」

 対するデビッド氏も、立派なビーチバレーボール選手になった水町へエールを送る。

 「インドアと同じように、ビーチでも思いきり力を発揮してくれると願っています。それにケガなく、ね。たくさんのトロフィーを手にして、次は来年の夏かな? 会えるのを楽しみにしています」

[写真]=坂口功将

 環境の変化に、言葉の壁。経験不足から抱いた引け目。2024年春、リュブリャナで水町はそれらと直面しながらも一歩を踏み出した。果たして今では英会話もそつなくこなし、ビーチバレーの会場では異国の選手たちと言葉をかわしている。

 「言葉が通じる通じないに関して、今はネガティブに捉えていません。スロベニアで感じたのは、こっちの方々はとてもやさしいし、頑張って話そうとしたら受け止めてくれるということ。そもそもの考え方や文化の違いがあるのは、とても面白いです。

 こうして海外でプレーすることで輪が広がっていると実感しますし、自然と自分たちの名前も海外で知れ渡っていく。そうすれば、現地の合宿に呼んでもらえたり、逆に日本に来てくれたり、という機会が生まれて、それがまた自分を成長させるきっかけになる。人とのつながりが大事か、を感じています」

 人と人がつながり、ボールをつなぐ。水町にとって原点に立ち返る場所が、スロベニアにもあるのだ。

この記事を書いたのは

坂口功将

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